くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編51編17節
わが主よ、私の唇を開いてください。
この口はあなたの誉れを告げ知らせます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録4章20節
私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は私が勤務している「東北教区センター・エマオ」の出張講座で早朝から福島県いわき市へ出かけておりましたので、ローズンゲン黙想をお届けすることができませんでした。車で約2時間半の移動で、久しぶりに長旅をした感じがしました。講座もとても充実したひと時を参加者の皆さんと過ごすことが出来て感謝でした。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して私が受け取ったのは「神から受け取った良いものをどのように他者に受け渡すことができるか」というものでした。今日はそのことを黙想したいと思います。
今日の聖句は、神からいただいたものを「告げ知らせるべきあなたの誉れ」であるとか、「見たり聞いたりした良いしらせ」と表現しています。そしてそのことを自分に与えられた口を通してひとりでも多くの人たちに伝えたいという思いを、詩人も使徒たちも抱いていることが分かります。そのうえで、神にそのような語る心を与えてもらえるように願い、そのような心をいただいた人たちが大胆に神について伝えていたことがわかります。
しかし、一方でこのようにも考えます。口というものは災いのもとでもあるということをです。どんなに熱心に神のことを伝えようとしても、それが結果的に良いしらせどころか、相手を貶めたり、自分自身の正義だけを振りかざすだけになってしまったりと、結果として悪影響を及ぼしてしまうこともあるのです。熱心であればあるほど周りが見えなくなる。本当に相手に語る言葉が、神の願っておられるそれに沿ったものなのだろうかと自戒を込めながらあらためて思わされるのです。
だからこそ、神の思いや願いを「人々にとって良いたより」として伝えることのできる心というものを神が私自身に与えてくださるようにと、神に祈りつつ与えられた言葉というものを発することが必要なのではないかと思うのです。神によって整えられた心は、必ずや良いものをもって他者に表現することができると信じたいのです。神がそうしてくださるのですから。
神が私に与えた心をもって、与えらえた舌を用いる幸いというものを、今日も大切にしていきたい。そのように思わされました。どうか皆さんの一日にも、神が良い心をお与えくださいますように。お祈りします。
※祈りのリクエストをさせてください。
昨晩、教会にホームレスの方がやって来られて、食べるものがないので、少しでもいいから恵んで欲しいとのことでしたので、昨日の出張講座で調理したスープと冷蔵庫にあった食べ物やお菓子、カイロなどを袋に詰めて差し上げました。近くの大きな公園にいるとのことでしたので、今朝がたその公園に行きましたが、その方はすでにいらっしゃいませんでした。この仕事をしていると、そのような方にしばしば会うことがありますが、昨晩訪れた方はとても誠実であるとお見受けしました。何とか生活をつなぐことができますように、もし願わくばその人の必要に応えることができるべく、再度会うことが出来ますように。そんなことを祈りの片隅に加えてくだされば幸いです。どうぞよろしくお願いします。