11/01/2025

2025.1.11(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書37章26節
私は彼らと平和の契約を結び、これは永遠の契約となる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録1章4~5節
今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、恵みと平和があなたがたにあるように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
私は台湾滞在5日目を迎えました。昨日は今回の研修旅行のメインとなった、台南市にある「長栄高級中学(高校)」への訪問と交流会を無事に終えることができました。現地の協力者なしにはとても実現することができなかった今回の事業でしたが、もっとその背後には、未来を担う若者たちの命を尊び、祝福する方がおられることを想わずにはいられません。参加者全員が安全に守られて最終日まで過ごすことができますようにと祈ります。今日は台南から高雄に移動して、午後から夜にかけて観光と若者との交流会が予定されています。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句をつなぐ言葉は「平和」でした。そして、その平和とはなにかということを今日の聖書の言葉を踏まえて考えたときに、今日の新約聖書にある「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」の存在こそが、私たちに安心と平和を与える土台になるということなのだと私は受け止めました。そして救い主イエスが、そしてイエスを私たちのために与えられた神のご存在というものこそが、今日の旧約聖書の言葉にも示されている契約に相通じるのだと私は思うのです。
 
現在も過去も未来も、私たちの状況はどんなに変われども神がおられるという事実は変わることがないのだと。私たちはそこに神の「不変性」というものを求めるかもしれません。そういう意味で言えば、神はご自分の考えやなされることの細部に至るまで何も変わらないのかと問えば、そういうことは決してないと私は思います。むしろ、神ほど融通の利かれる御方はいないのではないかと思うのです。私たちを根本的に闇から救い出すために自分の息子まで差し出してしまうほどフレキシブルな御方なのですから。
 
ですから、神の不変とは何から何まで変わらないということではなく、本質だけは変わることのない不変、それ以外はその時の状況に応じてストライクゾーンを広く構えてそれを受け止めることのできるという意味での「神の不変」なのだと私は思うのです。そしてそのような神の不変は、誰もが結ばれているという意味での契約が普遍的なものとして、現在もそしてこれから将来にわたっても世界的に広がりゆくものであることを受け入れて生きる者でありたいと願わずにはいられません。
 
神がイエス・キリストを通して与えてくださる平和とは、このようにして私たちの心に受け止められ、私たちが神の平和の器とされるときに、私たちの与えられた命の日々をもって、神の大きな助けによって今日という一日をも生きることができるのだと、今日のみことばを通して想わされました。
 
あっという間に一週間の最終日を迎えました。どうかこの備えの一日もまた祝福された時でありますように。皆さんの主にある平和は心よりお祈りします。

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