23/01/2025

2025.1.23(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ヨブ記13章9節
あなたがたは人を欺くように、神をも欺くのか。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書16章15節
イエスは言われた。「あなたがたは、人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたがたの心をご存じである。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け取ったのは「神は私たちの動機をご覧になられる方である」ということでした。そのあたりのことを書きつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉はヨブ記からの一節でした。ヨブ記は長編の物語ですが、神に対する反抗者である悪魔サタンの挑戦がヨブの身に及んだ時に、彼は不条理な災いを自分の身に負うことになったことをめぐって、神とヨブ、またヨブの周辺に起きたことが縷々書き連ねられています。
 
今日のシーンは、ヨブのことを案じた三人の友人が不幸のどん底に落ちたヨブに対して、さまざまな助言をしたり、友人同士でヨブについてあれこれ議論をし続けます。もちろん友人はヨブのことを心配したからこそそのようなことをしたのでしょう。しかし、助言や議論をすればするほど、三人の友人の助けは実に無力なものであることが明らかにされます。そのような彼らの助けは、ときにヨブにとっては毒にも薬にもならないように映ったのでした。
 
そんなときに、ヨブによって語られたのが今日の旧約聖書の言葉です。ヨブは人を欺くように神をも欺くのかと友人たちに告げました。つまり、ヨブはこの時点で自分たちはどこに眼を向けるべきなのかを確認するように提示したのです。どんなに災いに遭ったとしても、自分たちが見つめるべきなのは神の御心であると。その神の御心に照らし合わせて自分自身の心を見つめるときにこそ、神はその動機をちゃんとご覧になられているということを言いたかったのではないかと思うのです。
 
私たちの他者に対する助けというものが、本当に神が今与えようとしている助けに沿ったものなのだろうか。そこにこそ私たちは目を留めることが大切なのであって、結果として「余計なお世話」になってしまうとすれば、私たちは今しようとしていることの動機というものが問われていることになるのでしょう。大切なのは私自身の行動ではなく、神がどのように行動を起こされて、私たち一人ひとりを守り祝してくださるのかということへの私たちの深い洞察なのでしょう。
 
そのことを踏まえて今日の新約聖書の言葉に聴くならば、外面や人に賞賛されるような行動ばかりをパフォーマンスのように披露していたファリサイ人に対して、イエスが告げた言葉の意味というものがわかるというものです。まさに私たち一人ひとりの言動における動機というものを、神はじっくりとご覧になられているのだということです。ですから、私たちは自分の言葉と行いというものが、つねに神によって問われているということを忘れないようにしたいとあらためて思わされたのです。
 
今日の聖書の言葉は、とても厳しいメッセージであると私は思いました。神によって自分自身が問われているということを恐怖と見るべきなのか、それとも神の御心によって私たちが養われているということに喜びを抱くことができるか。そんなことを黙想させられるのです。今日一日の歩みのなかで、少しでも神の御心とまなざしというものを大切にしつつ、自分の言動というものに丁寧に向き合っていきたいのです。
 
私たちが神の御心に守られながら、自分自身の心を整えることができますように。心からお祈ります。

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