くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上26章24節
主も私の命を重んじ、あらゆる苦難から私を救ってくださいますように。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二8章9節
あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は、伯父が病院からホスピスへ無事に移ることができました。施設のスタッフの方々もとても親切に接してくださり、伯父もとてもホッとした様子でした。皆さんのお祈りに心から感謝します。今日の午前中はさまざまな行政手続きを、午後は私自身の病院での検査と治療が待っています。ひとつひとつのことがスムースに進みますように、祈りつつ歩んでゆきたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句ですが、旧約聖書はサムエル記上26章の聖句でした。この箇所は、イスラエルの王サウルが後の王ダビデの命を狙っていたときに、ダビデは絶妙のタイミングでサウルを殺すことができたものの、それをしませんでした。神である主が油を注がれたサウルを殺すことは、神の御心に反することであるとダビデは理解していたからです。
こうしてサウルは自分の命を、命狙おうとしていたダビデによって拾うことができました。サウルはダビデに礼を言いますが、ダビデの反応は常に神を向いたものでした。サウルに命乞いをするわけではなく、あくまで神が私の命を守り、あらゆる苦難から救ってくださいますようにと願います。人に向くのではなくあくまで神に自分自身の視線を注ごうとするダビデの思いというものに、私自身あらためて感じさせられるものがありました。
私たちの命を守るために働かれる神が、ご自分の者として私たちを見なしてくださるということが、私たち自身にとってどのような思いを与え、そしてどのような方向を見つめながら歩むことが出来るのかということを、私自身大切にしたいと願わされます。今日の新約聖書の言葉は、私たちのために救い主イエスご自身が貧しくなられたということがつづられています。十字架という貧しさの極みに立たれたのは私たちが豊かになるためでしたと、使徒パウロは私たちに伝えようとしています。
たとえ自分の命が危ぶまれても、神が与えた命を尊ぶその姿勢というものに、私自身心を寄せながら、今日一日の営みというものを大切にしたいと思い、今日の御言葉を受け止めてまいりたいと思います。どうぞ皆さんの一日にも、命を尊ばれる神の守りと祝福がともにありますように。お祈りします。
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