くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書42章3節
傷ついた葦を折らず
くすぶる灯心の火を消さず
忠実に公正をもたらす。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書18章10節
これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間の始まりを迎えました。この新しい七日間の旅路に、私たちはどのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。私にとっては、大切ないくつかのドラマを迎える予定です。明日はかつて洗礼を授けた方の葬儀で東京へ、明後日は伯父の施設への転居の立ち合い、水曜日は私自身の病院での検査と治療、木曜日はエマオの出張講座でいわきへ、金曜日は伯父のことでのもろもろの手続き、そのあいだに締め切りの原稿を数本をしあげることになっています。その慌ただしさのなかで何を心がけて日々を過ごすのかということについて、今日のローズンゲンに与えられた御言葉は私に大切なことを教えてくれていると感じました。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して語られるテーマは「弱く、小さなところにこそ視線を向け続けられる神」であると私は受け止めました。折れた葦、くすぶる灯心、そして小さくされたひとり。これらの言葉に示されている弱く、小さくされたところに眼をとめ、関心を寄せ続け、寄り添ってくださる神の真実というものが、いかに私自身を生かしてくださるか、私だけではなく、この世界に生きるすべての人々に神の視線が向けられていることをイメージしながら、与えられた日々を生きていくことができるのだと思ったのです。
一見強大で、弱さなど見い出せないような存在であったとしても、そこには間違いなく弱さというものがあるのだと思うのです。それをうまく隠しているか、知らず知らずのうちに見た目の強さでコーティングしているだけなのかもしれません。いずれにせよ、自分自身のうちにある「弱さ」こそ、神が私のために働いてくださっている紛れもない根拠なのだと。そのために救い主イエスが私たちのもとに「弱さ」をともなって来られたという事実を、私たちはイエスの生きざまからじっくりと受け取っていきたいのです。
今日から始まる一週間が、世界中で行われる主の日の祝祭が、神の豊かなまなざしのもとで守られ続けていきますように。そして、その神の姿が自分自身の生き方というものに良い形であらわれますように。一週間の平安を心から祈ります。
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