くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書1章7節
「まだ若い」と言ってはならない。
むしろ、私があなたを遣わす相手が誰であろうと
赴いて、命じることをすべて語れ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙1章16節
私は福音を恥としません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、新しい2025年が明けました!この一年が、皆さんにとって、神様の祝福を存分に味わえるような日々となりますように。心からお祈りします。どうぞ本年も、ローズンゲン黙想を通し、神の言葉をともにいただくことができれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨日は私の心臓のことで大変ご心配をおかけしました。心房細動のため入院して投薬を行った結果、夜には心房細動の症状が落ち着きました。不整脈もなくなり、明日、無事に退院できることとなりました。2024年の最後に、来年に向かって神様が素敵なアドバイスをしてくださったのだと受け止めました。自分自身をもっと労りなさいよと。そんなことに感謝しつつ、新しい2025年を過ごしていきたいと思います。
そんななかで与えられたローズンゲンに収められた今日のみことばは、自分自身を労りつつも私の一年間の歩みを励ましてくれる、そんなものであると受け止めることができました。
今日の旧約聖書の言葉は、神が年若いエレミヤに対してご自分の言葉を人々に伝える務めを与えられた場面の一節です。エレミヤは自分は若いからとそれを固辞しますが、神は若いなどと言ってはいけないのだと、エレミヤの思いをよそに預言者としての務めを与えました。
若さ。私はこの世界ではまだまだ「若手」かもしれません。私の働く教会では牧師信徒含めて23名のうち、3番目に若いのが私です。とはいえ、もう来年には50歳。数え年で言ったら今日をもって50歳となりました。決して若くなんかないのです。
ですから、この歳になると徐々に責任というものを担うことも多くなってきたわけですが、その責任というものを担うためには、神がこの務めを与えているのだという強い意識と、自分自身が無理してでも担わなければいけないのではなく、神が指し示されるものに心から従おうとする思いを温め続けることが大切なのだと思わされます。
務めを断る理由などいくらでもあるのだと思います。しかし、その理由が神をそっち向けにして自分自身のことだけを考えてそうするのであれば、そこには何の意味もないと思うのです。断りにしても受けるにしてもです。すぐに言い訳をして、本当に大切なものまで見失ってしまうことのないように、神が与えられた大切なものを大切にしていきたいのです。
実際エレミヤは逡巡しながら、自分に与えられた勤めを問い続けました。最初から100%の確信を持って受け入れたわけではありませんでした。しかし、最終的には神の命令を全て受け入れました。それが本当に大切なものだと思ったから。人々が罵詈雑言を彼にぶつけようとも、彼は神が与えられた大切なものを大切にし続けたのでした。
パウロは、私は福音を恥としないと手紙に書き綴りました。イエス・キリストが私たちの救い主であることを告げるのは、当時はまだまだ簡単なことではなく、パウロは幾度となく命すら危ぶまれるような場面に遭遇しています。それでも、パウロは本当に大切なものを大切に守り続けたのでした。決して誰かに強要されることなく、自分自身の価値観をただイエスの価値観に合わせながら生きていったのでした。
それが、イエス・キリストを恥としない生き方なのでしょう。この1年間、私はそんな生き方に少しでも自分自身の心を寄せていきたいと思わされた次第です。もちろん、神が助けてくださるからこそです。
どうぞ素敵な元日をお過ごしください。重ねて、主にあって本年もよろしくお願いします。
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