くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
申命記4章39節
そこで今日あなたがたは、上は天においても下は地においても、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知って、心に留めておきなさい。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章5,7節
あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。そうすれば、 あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日は午前中にしなければならないことがありましたので、この時間(午後3時)に黙想する時間をとりました。配信が遅くなり、申し訳ありませんでした。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して私が思ったのは私たちの神である主ヤハウェこそ私たちの命を守られる方であり、私たちの人生の道筋を平和のうちに導かれる御方であるということへの「認識と自覚」であると受け止めました。
今日の旧約聖書の言葉は申命記によるものでした。申命記は、神がご自分の民であるイスラエル人をエジプトにおける奴隷状態から救い出して、ご自分が約束された地へと導かれたその最後の場面で、指導者モーセによって語られた言わば「遺言」のようなメッセージ集として知られています。その旅路はとても長いものでした。40年間という道筋のなかでイスラエルの民は幾たびも神の導きに不信感を抱き、その通りに歩むことを拒もうとしました。まさに自業自得と言えるような彼らの行動ゆえに旅が長くなってしまったのです。
しかし、40年という苦難の日々があったにもかかわらず、神はその旅を見捨てられることは決してなさいませんでした。今、ゴールを目前にして指導者が民に語れることと言えば、私たちの道を守られた神こそ「私たちとともにおられる」方であり、この方以外に神などありえないのだという確信に満ちあふれたメッセージそのものだったのです。
その神を「知る」こと、つまり心から認識し自覚するところに、約束の地に導かれた後もまた、神とともに歩むということがどれだけ祝福に満ちあふれたことなのかを、民たちに知らせたかったのです。このモーセによるメッセージを民たちが聴いたときに、民たちもまた自分たちは神から守られた者であるという認識と自覚こそ、自分たちに求められていることだったのです。
私たちは自分の「心」を守るのです。しかし、何のために、どのような心を守るのかということについてはまさに千差万別と言えるでしょう。そこで神が私たちの心をかたちづくられる方であるということを、私たちは真剣に受け止めていきたいのです。そのために神の言葉が、そして聖霊様の助けが与えられていることを胸にして、主の日への備えを過ごしてまいりたいと思います。皆さんの今日の残りの時にも、平和へと導く神の姿が皆さんの心とともにありますように。お祈りします。
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