27/01/2025

2025.1.27(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編65編6節
我らの救いの神よ
あなたは義によって
恐るべき業によって答えます。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章14節
何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して私が受け止めたこと、それは「神はご自分の正義によって私たちに応えてくださる方である」といおうことでした。そのことについて黙想したいと思います。
 
私たちが神とともに歩むときに、私たちは神から何を受け取ろうとしているのかということを考えさせられます。神の言葉である聖書に聴き、聖霊の助けをいただきながら、私たちはそれを「神の御心」として受け取るわけですが、私たちは神の御心というものを100%理解できているかどうか、それはとても怪しいものがあると私は思うのです。受け取っているつもりでいても、自分のなかにある「バイアス」というものが、それをゆがませてしまうからです。どうしても自分の指向というものが働いてしまうのです。
 
ですから、私たちはそのバイアスによって「自分自身の正しさ」に無意識のうちに神の正しさとすり替えてしまうことがありますし、それは人間ならば誰でも起こることなのだと私は思っています。それでは、私たちは神の正しさをいうものを受け取ることが出来ないのかといえば決してそんなことはなく、100%とは言えずとも、80%、90%と近づくことは可能なのだと思うのです。そのために私たちに求められているものは何なのかということを私は受け止めたいのです。
 
それは神の御前に謙虚であること、常に自分自身の立ち位置やあり方というものを神と向き合いながら自分自身を見つめ続けること、こういう営みを通して自分を神との関係のなかで整い続けること、そのことを養うために御言葉に聴き祈ること、聖霊の導きを感じ取りながら共同体のなかで互いに築き合うことなどなど、そんなことを思わされたのでした。
 
私たちの願いというものは「神の御心にかなうならば」聞かれると、今日の新約聖書の言葉は私たちに伝えています。神の御心とはなんなのか、そのことを丹念に探ることに私は神の正しさによって誠実であり続けたい。今日そんなことを黙想させられました。今日の一日が、そのような神の正しさが私たちの一切に光輝くようなときでありますように。お祈りします。

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