くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編42編4節
昼も夜も、私は涙を食物とする。
人は日夜私に言う
「あなたの神はどこにいるのか」と。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙1章13~14節
(パウロの言葉)私が投獄されているのはキリストのためであると、兵営全体と、その他のすべての人に知れ渡り、主にあるきょうだいたちのうち多くの者が、私が投獄されたのを見て確信を得、恐れることなくますます大胆に、御言葉を語るようになったのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日、熊本県を震源とする大きな地震がありました。猛暑のなか、ライフラインが寸断されていることで、生活に苦痛を覚えられる方も多くおられることに心を痛めています。また、残念ながら命を奪われた方々や、その家族の悲しみを思うと、さらなる痛みを覚えずにはいられません。適切な助けが速やかになされることを祈りつつ、何とかして助けにならないかと思わされつつ、今日のローズンゲンを開きました。まさに、今日のみ言葉は、そのことをの如実に訴える聖書の言葉であると感じずにはいられなかったのです。
「あなたの神はどこにいるのか」と、人々は叫びます。私の心のうちもその叫びで大いに痛みます。誰も悪いわけではない。ただ自然のいたずらが人の生活を容赦なく襲い、そして苦しめるのです。この自然を目の前にして、私たちはどうすれば良いのか、ただそこに茫然と立ち尽くしてしまう。そんなことを想わされます。私が現在住んでいる仙台の地も、15年前に同様の経験をしました。私はその場に当時いませんでしたから、それを当事者として語ることはできません。しかし、今ともに生活を営んでいる大切な友たちからは、神がおられるから、神を信じているからと言って、即座に心を神に寄せることが難しかったという話も耳にします。この苦しみのなかで、神が応えてくださることを待ち望みながらもです。
昼も夜も涙を食物として生きることのつらさがあります。しかし、その神は必ず私たちのことを見捨てたりはしない。あてもなく、目に見える保証はたとえなかったとしても、私たちはそのことだけに、一縷の望みというものを託しつつ、与えられた日々を生きるしかないのかもしれません。そして、その望みというものを共有してくれる友たちの目に見える助けがあってこそ、神を具体的に見ることができるのかもしれません。だから、できることがあるのであれば、何とかして少しでも助けになりたいと心に願わずにはいられないのです。
望みを決して忘れない。そして望みを神に叫び、訴え、神のなさることにすべてを委ねつつも、私にできることを、神の真心をもって誠実に果たす。それがひとひとへの慰めへとつながっていきますようにと願います。今日の新約聖書の言葉は、投獄されていたパウロの姿勢が、人々に希望を与えたことが記されています。熊本は遠い地ではありますが、私がそのことを決して他人事にはせず、希望をもって祈り、そして心を寄せ、何か働きが許されるならば、その働きに有形無形のかたちで参加すること。これが、今日の聖書の言葉から聞こえたメッセージでした。
今日も、神である主の励ましと慰めが、ともに豊かにありますように。心からお祈りします。