くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
歴代誌下15章2節
もしあなたがたが主を求めるなら、主はあなたがたに現れてくださる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書4章25~26節
女は言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知らせてくださいます。」
イエスは言われた。「あなたと話をしている私が、それである。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
******
おはようございます。
今日で9月も最終日を迎えました。いつになく自然災害の多かったこの一か月間でした。被災の地にある方々の痛みを思わずにはいられません。どうか、それら苦痛のなかにおられるすべての人々に、神の慰めと励ましが豊かにあることを、心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「神である主を求めることの幸い」であると私は受け止めました。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、南イスラエル(ユダ)王国の第3代目の王であったアサに、預言者アザルヤが進言した言葉です。アサ王はこの時、順風満帆な王としての歩みをしていました。そんなアサ王に対して、アザルヤが語った言葉は「神である主を求める」ことをさらに勧めるものでした。このアザルヤの言葉にアサ王は素直に受け入れます。さらに、神とともに歩むことの大切さを、自らの政治に余すところなく生かしました。それによって、ユダ王国には長期間にわたる平和が訪れたのでした。
「得意冷然、失意泰然」という言葉がありますが、順調なときにこそ、順調であることの意味というものをじっくりと噛みしめたときに、そこに浮かび上がってくる神の御顔と深いまなざしがあることに感謝し、主とともに生きる喜びを味わいたいという憧れを大切にしたいと、襟を正されるような思いで、今日のみ言葉を受け入れたいと思いました。
そして、今日の新約聖書の言葉は、不幸な人生を歩んでいたサマリア人の女性に主イエスが現れたときの会話です。彼女はずっと救い主が現れるのを待ち望んでいました。その人生が不幸なものであったからこそ、彼女の希求の思いというものは特別だったのかもしれません。しかし、主はそんな彼女の求めに対して、確かに答えられました。
得意にあっても失意にあっても、神を求めることが私たちの人生を豊かにするのだ。そんなメッセージを胸にして、今日も一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの一日にも、神が豊かに臨んでくださいますように。心からお祈りします。