くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上2章8節
主は貧しい者をちりの中から引き上げられる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章46〜48節
そこで、マリアは言った。「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたえます。この卑しい仕え女に、目を留めてくださったからです。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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おはようございます。新しい朝を迎えました。私事ですが、火曜日から昨日まで、所属する日本基督教団の総会が行われました。三日間の会議に、身体も心もかなり疲れを覚えましたが、こうして朝の目覚めが与えられていることに、改めて、命生かされていることに、心からの感謝を神様に向けることができました。気持ちを新たにして、今日からの日々を神とともに過ごしてまいりたいと思います。
そのために、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、私に大きな慰めと励ましを与えるものでした。弱く、貧しく、大きなふりをしても、実はちっぽけで、消え去ってしまいそうな灯火である。私自身にも、神はいのちの光を与えてくださり、光輝く一日を与えてくださっているのだと。そんなことを、希望の思いをもって与えてくださる神が今日もおられる。そんなことを思っていたら、とても嬉しくなったのです。
誰もが、順風満帆に歩めるわけではない。失敗も旅重なってしまう。そんなことを経験しているうちに、自分の情けなさであるとか、辛さのようなものをいっぱいに抱えて、息苦しくなってしまうことがあるのです。本当ならば、備えられている道も、見えなくなってしまう。そんな私たちの姿を、神はじっと見つめていてくださるのです。
神が備えられる道は、私たちが思うほど豊かなものには見えないかもしれません。ときには、目を凝らさなければ、よくわからない道もあるかもしれません。しかし、その道は着実確実ないのちへの道なのだと。今日の聖書の言葉に示されたふたりのの女性がまさにそうでした。
なかなか子を宿す恵みにあずかれないハンナ、そして、いきなり子を宿すことになったマリア。ふたりの境遇は大変対照的ともいえますが、しかし、その2人が抱えたものには共通点があります。弱く、小さくされたものが抱える不安です。
その不安を取り除かせ、歩むことができるように支えてくださる神がおられるのです。私たちが不安から逃れられる事は無いでしょう。しかし、その不安を抱えつつも、希望を持って歩むことを、神は必ず与えてくださる。そんなことを心から期待しつつ、今日の1日を歩みたいと心から願わされました。
どうか、皆さんの一日にも、いのちの光を豊かに与えてくださる神がともにおられますように。心からお祈りします。