くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
申命記32章15節
主は民を御自身の瞳のように守られる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章38~39節
私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、こんにちは。
昨日は、それぞれの場所で救い主イエスのご復活を喜び、祝うことができたのではないかと思います。死という、私たちが決して抗することのできない最大の敵に、私たちのイエスはご復活の命によって、敵に打ち勝たれた。そのことが、私たち一人ひとりにとっての希望となられたのです! すべての悲しみを御存知である主が、私たちのことをすべて知られたうえで、希望を与えてくださる。そんなことに、私たちの心が導かれるよう、ただただ祈りたいと思うのです。
そのような余韻のなかで、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、どのように私たちの心に鳴り響くのだろうか。そんなことを思いつつ、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、モーセによって語られた辞世の句のようなものと言えるでしょう。イスラエルの民を導かれた神が、40年間の荒れ野における流浪にあっても、しっかりとご自分の民を守られたという事実を、モーセは歴史を振り返りながら、次世代を担うひとりひとりに語りました。それは「ご自分の民を瞳のように守ってくださる神」が、ともにおられるのだということです。
瞳がなければものを見ることはできません。それだけ、私たちが生きていくのに無くてはならない存在が瞳であると、モーセは考えたのでしょう。神にとって、ご自分の民、人間の存在は、それくらい大切なもの、無くてはならないと言わせてしまうくらいの存在であったことを想わされます。大切なものを守るのは当然のことです。神である主の守りが、私たち一人ひとりに向けられるのだ。これが、荒れ野における40年の旅路を歩み切ったモーセの正直な感想であり、確信だったのです。
それは今や、私たちの救い主であるキリスト・イエスによって実現されました!だから、そのことを、使徒パウロは「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできない」と、手紙にしたためることができました。引き離すことができない。それだけ、私たちの救い主であるイエスは、私たちとともにおられることに真剣であられるということなのだと、私は受け止めたいのです。
今日は朝に黙想を掲載することができませんでしたので、午後も半ばですが、黙想を掲載しました。どうぞ今日の残りの時間、皆さまの一切に、神様の守りが豊かにありますように。心からお祈りします。