くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ルツ記2章12節
(ボアズからルツへの言葉)
「あなたがその翼のもとに逃れて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙11章6節
神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神がご自分を求める者に報いてくださる方であることを、信じていなければなりません。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「神による報い」です。
ある牧師がこんなことを言いました。「私の仕事は本当に報われない」と。その牧師は、教会の牧師として、教会での仕事はもとより、ある分野に長年取り組み続けてきた方です。その取り組みによって、多くの方々が健やかに生きるきっかけを得ることができました。とてもやりがいのある仕事だったと思います。しかし、その牧師は「私の仕事は本当に報われない」と言ったのです。私は、その牧師の言葉の真意を汲み取れずにいました。
確かに、世の中には報われたいという思いがあっても、その願いとは裏腹の反応に触れて、がっかりすることがあります。少しくらい報われたっていいよなと、私たち人間は思うのです。思ってしまうのです。おそらく前述の牧師も、そのような現実に多く触れてきたことと思います。だからこそ「報われない」という言葉を、偽ることなく口にしたのでしょう。
しかし、その牧師は、どんなに報われないと感じても、それを口にしても、その務めそのものを止めることは決してありませんでした。むしろ、嬉々としてそのことを行い続けました。報われないのであれば、やめてしまったらよいのにというふうには、決してなりませんでした。その牧師には、究極的な柱というものがあって、それが自分自身を支えてきたのだろうと私は思えてならないのです。
その柱こそ、「誰も報いてくれなくても、神はこの私を報いてくださっているのだ」という信仰なのだと、私は感じたのでした。実際、その牧師が本当にそう思ったのかどうかは分かりません。しかし、究極的には神が、私たちを信頼し、ご自分のみ心に生きようとする者たちに、必ず報いを与えてくださるのです。それがどのようなかたちで与えられるのかは分かりません。おそらく、人それぞれに違うのでしょう。しかし、神は見捨てないのです。私たちのあり方をご覧になられて、必ず報いを与えてくださる。
このことが、今日一日を生きる、私たちの柱となるように、神が立ててくださいますようにと祈りたいと思います。