くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編143編8節
歩むべき道を教えてください。
私はあなたに向かって魂を高くあげます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書6章68~69節
シモン・ペトロが答えた。
「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も暑い夏の一日を迎えました。仙台は昔のように30度を超えない日々を過ごしていますが、各所で酷暑とも言える陽気のなかで、健康が守られますように。そして、台風が直撃しようとしている関東地方が、危険から守られますように。震災後の熊本の地に、少しでもそこに住まわれる方々の安全が守られますように。そのことをお祈りしつつ、今日の聖書の言葉に聴きたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「私たちの歩む道を、神はご自分の言葉を通して備えてくださっている」でした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉である、ヨハネによる福音書6章は、長い物語となっています。イエスは、ご自分の言葉を聞こうとする大勢の人々を前に、奇跡を通してそれらの人々の空腹を満たしたり、病気をいやされました。そして、会堂においては、神の言葉を取り次ぐことを通して、人々の心に神の思いを吹き込みました。
しかし、人々のなかには、イエスを通して語られる神の言葉に対して、拒否感を示す人もいました。「あまりにもひどい話だ」と言う人たちもいました。イエスの語る言葉に付いて行くことができずに、その場を離れ去った人たちもいました。神の言葉に拒否感を示す人間の思いというものは、古今東西変わることがないということを、私たちはこれらの物語を通して知ることができます。たとえ神によって良いものを私たちがいただき続けているのにもかかわらずです。
神から良いものを得ているのにもかかわらず、自分自身のなかに起きる拒否感は、それだけ私たちは「自我の強い存在」であることの紛れもない証拠です。自我の強さが、神のなさることを受け入れなくさせてしまうことだって、私たちの生活には往々にしてあるのです。しかし、そのことに開き直る生き方を営み続けているのであれば、私たちは神を拒み続けて生きることになってしまうことも、また間違いない事実なのです。
そのような私たちに、イエスは近づかれました。今もご自分の言葉をもって、私たちに神の愛というものを示し続けておられます。その示された道を、私たちは「教えてください」と問い尋ね続け、また、ペトロによって語られた信仰告白のように、その言葉を自分自身を活かす無くてはならないものとして、受け入れることの幸いというものを、私たちは自我の現実を見つめつつも、前向きにとらえていきたいと心から願います。
神を信じたい。しかし、拒んでしまう自分がある。だからこそ、そんな私たちにイエスは今日もともにいてくださり、良いものを授けてくださる。このことが幸いなのだということを胸にして歩むことができますように。皆さんの一日に、神からの祝福と平安がありますように。心からお祈りします。