くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
民数記11章23節
主の手は短いのだろうか。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書4章41節
弟子たちは非常に恐れて、「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか」と互いに言った。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この七日間の旅路を、私たちはどのように過ごすことができたでしょうか。その最終日にあたり、私たち一人ひとりがそのことを思い起こしながら、また、明日訪れる主の日への備えの一日として充実して過ごすことができるためにも、御言葉に聴きたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日私が受け止めたいと思ったことは「神には何の不足もない」というものでした。それは、私たちがもしかしたら抱くかもしれない、あらゆる不平不満をはるかに超えたところで、神は必ず私たちのために働いてくださる方なのだという信頼と希望を抱きたいという願いを込めてのことでもあります。
今日の旧約聖書の言葉は、エジプトから脱出して神が約束される土地へ向かうなかで、果てしなく続く流浪のために、疲れ果ててしまったイスラエルの民がこぼした不平不満に対するモーセの言葉が選ばれています。元気のつく肉や野菜にありつくことができないなかで、どのように長旅を続けることができようか。食べることができるのは神が与えられたマナくらいのものだ。そんなんだったら、エジプトでの奴隷でいたほうが、まだましだった。こんな民たちの不平が、広がっていったのでした。
そのようななかで、指導者として対処しなければならなかったモーセも大変だったと私は思います。しかし、モーセはここで「信頼と希望」への突破口として、「主の手は短いのだろうか」と語りました。みんなの必要に届かないほど、神である主の手は短いのか、いや、そんなはずはないだろう。必ず、その必要に応えてくださるのが神なのだから。こうして、モーセは民たちを慰め、励ましました。
その結果、彼らは肉にありつくことができたのでした。神は民たちのために、うずらを天から降らせて、肉を食べることができるようにしてくださったのです。人間の不平不満に対しても、神なりの方法で人間が生きるための必要を与えてくださるのが、神の与える「信頼と希望」だったのです。この神のなさることに、民たちは旅を続けることができたのでした。それは、今日の世界で生きる私たちに対しても、神は同様の思いをもって接してくださるのだという「信頼と希望」を抱くことが大いに許されているのです。
私たちの人生の荒波や暴風にも、それを鎮めてくださる主イエスがおられるのだ。今日の新約聖書に描かれている、イエスによる奇跡の業を弟子たちが驚嘆したように、私たちの日々にも容赦なく襲うさまざまな出来事にうろたえることがあったとしても、そのままにはしておかれない神が、今日も私たちとともにおられるのだ。そのことを希望の糧として、今日も歩んでまいりたいと思います。
どうか、この七日目の時も、神が与えてくださる信頼と希望が、私たちの生きるいしずえとなることができますように。主にある守りと祝福を、心からお祈りします。