くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編100編3節
主は私たちを造られた。
私たちは主のもの。
主の民、その牧場の羊。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書10章14節
(イエスの言葉)
私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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おはようございます。
今朝も秋晴れのさわやかな朝を迎えました。そのようななかで命与えられた私たちが、今日、どのような一日を歩むことができるのでしょうか。そんなことを思い描きつつ、その基盤となるべく、ローズンゲンによって指し示されたふたつの聖句から黙想を得たいと思います。
今日の旧約・新約聖書の両方に登場する言葉は「羊」という言葉でした。聖書では、羊と言えば私たち人間のこと、特に神によって守られ、養われている者たちのこと全般を指す言葉として、広く用いられているのは、皆さんもご承知のことと思います。
羊は決して「強い」動物ではありません。視力が弱いため、目の前にあるものについていくという習性があります。ですから、ついていく先にあるものがどういう存在かによって、羊にとっては死活問題となるのです。あくまで「良いもの」の後について行かなければ、待ち受けているものがどうなるかはわかりません。危険を味わわなければならないことだって十分にあるわけです。
そのようななかで、そのような羊を守る神がおられることを、古今問わず、信仰者たちは自分自身の助けとし、希望としていった。これが、今日のふたつの聖句に描かれている賛美であり宣言なのだというのです。
神である主は、ご自分に似せたかたちとして、私たち人間をありったけの愛情をこめてお造りになられました。ご自分が最高傑作品と絶賛するまでに、私たち人間のことを深く愛しておられるわけですから、神にはその人間を養う務めというものを、決して放棄されることなく私たちに対して抱き続け、そして行使し続けておられます。
だからこそ、神によって遣わされた救い主イエスは、その務めを一身に背負い、私たちの「羊飼い」となってくださいました。変なものに誤導されることのないように、私たちの手をしっかりとつかんで、導かれるイエスが、今日も私たちとともにおられます。私たちは先のことまで明確に見通せるような視力はありません。だからこそ、主イエスの言葉に導かれながら、今日という一日を歩んで生きたいのです。
どうか、この一日もまた、秋空のさわやかな気持ちにたとえなれなかったとしても、そこには必ずイエスがおられることを信じて、歩むことができますように。神の守りと祝福を、心からお祈りします。