くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
歴代誌上13章8節
ダビデとイスラエルの人々は皆、神の前で力の限り、歌を歌い、琴、竪琴、タンバリン、シンバル、ラッパを奏でた。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙一5章16節
いつも喜んでいなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日は、あのテロから25年を迎えた祈念すべき一日です。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きました。多くの命が奪われるとともに、あの日からテロへの反撃が始まっていきました。人の命がいとも簡単に奪われることへの恐怖、それを正当化しようとする人々の思い、そんなことを目にしながら、聖書から語ることへの意味というものを、深く考えずにはいられませんでした。あの日、台風が過ぎ去ったあとの不気味な夕焼けが東京の空を包んだ記憶とセットとなって、テロのことを思い出すのです。そのことを憶えつつ、今日の聖書の言葉に心を傾けたいと思います。
今日の聖句が語ろうとしているメッセージは、「賛美の喜びを響かせる信仰者の姿」というものでした。9.11を覚えるのには、あまりにも「似合わない」聖書箇所であると私は感じました。世界中を震撼させたあのテロの状況下にあって、私たちは究極的に神に賛美の思いを向け、神とともにある喜びを感じることができるでしょうか? むしろ逆なのではないかと私は思えてならないのです。
私たちが喜ぶことができないとき、神はそれをお許しになられるのでしょうか。神はそんな私たちの真実というものをよくご存知であることを信じたいのです。泣く時にともに泣いてくださる神だからです。悲しみに、はらわたがちぎれるほどの思いで私たちとともにある方、それが私たちの神であり、イエスが私たちに示されたことでした。
私たちは「いつも」喜ぶことはできないかもしれない。今日のテサロニケ書の聖句が私たちに訴えるように、私たちがつねに喜べたらどんなに良いだろうと願いつつも、それができない時、それでも私たちに切なる願いがあることを、神はちゃんと見てくださっていることを信じたいのです。いつかは喜べる日が来ることを私たちが望むときに、神は必ず時宜にかなった助けというものを、必ずお与えくださるのだということを、心の底から信じたいのです。
悲しみや怒りを抱いている自分があるからこそ、神が与えてくださる喜びに感謝できるのだ。そんな思いをもって、今日の一日も、神とともに歩むことができますように。皆さんの主にある守りと祝福を、心からお祈りします。