くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ミカ書5章1節
エフラタのベツレヘムよ、あなたはユダの氏族の中では最も小さな者。あなたから、私のためにイスラエルを治める者が出る。その出自は古く、とこしえの昔に遡る。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書2章1~2節
イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は、黙想をつづる時間を確保することができませんでした。楽しみにしてくださった皆さんには、申し訳なく思っております。すみませんでした。
昨日眼科で受診し、左眼の手術を来週月曜(6月29日)におこなうこととなりました。ここがピンポイントで空いているということでしたので、ためらわず予約をしました。少しでも眼を大切にしなければと思い、手術を受けようと思います。それで、大変勝手ながら、1週間(6月29日~7月5日)黙想をお休みしたいと思います。重ねて申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、まさに救い主イエスについての預言であり記述です。長い歴史を経て、私たちのもとに命の救い主が神によって与えられる。神はそのためにずっと働いてこられたことを、私たちはこれらの聖句から見つけ出すことができます。
つまり、神による救いというものは、今、この時にだけ起きているものでは決してなく、長い歴史を経ているという事実を、私たちは決して忘れてはならないのです。しかし、それは伝統や歴史に固執せよという意味でもありません。そうではなくて、神を通じて神が豊かに働かれてきた歴史があるということを、私たちは大切にするのだということです。
神の歴史を大切にするというのは、神を大切にするということです。だからこそ、私たちが歩んできた歴史というものが、「本当に神とともに歩んできた歴史なのか?」と問い続けることは、大変重要であると言えます。聖書を読めば、時に神の歴史と同調できず、乖離してしまった人間の歴史があったことを、いくらでも見つけ出すことができます。しかし、そんな私たちのために、心をこめて働いてくださった神の歴史を通して、人間がその神に導かれて生きようとした歴史もある。私たちは、その歴史を評価し、自分自身の歴史とするのです。
そして、その中心には、昨日も、今日も、そして明日もともにいてくださる主イエスがおられることを、私たちの今日を生きる糧としたい。そんなことを黙想させられました。
今日の一日も、神が私たちの歩みを導かれ、私たちが神の歴史の一ページを歩むことができますように。心からお祈りします。