くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書55章1節
さあ、渇いている者は皆、水のもとに来るがよい。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書6章35節
(イエスの言葉)「私を信じる者は決して渇くことがない。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
イエスはしばしば「渇く」という言葉を通して、それは生理的な喉の渇きにとどまらず、私たちの心の渇き、また渇望する私たちの思いなどもすべて含めて、その言葉を用いられました。今日の新約聖書の言葉であるヨハネによる福音書6章の聖句も、まさにそのことを物語る言葉であるといって間違いないでしょう。
イエスは、「私を信じる者は」と前置きされたうえで、決して心や思いが渇き切ることはないのだということを宣言されました。イエスの何を信じるのでしょうか。イエスという存在のそのものを、私たちは心から受け取ることができますし、イエスがなされた言動のすべてを通して、それは今を生きる私たちひとりひとりにも与えられていることを、心から受け取ることができます。水場へ集まって、流れ出る水をすくい、それを口に含んで冷たい水を五臓六腑にしみわたらせるときに、私たちは爽快さを十分に感じることができるように、イエスの言葉を私たちは、自分自身の体内にしみわたらせることができるのです。
今日の旧約聖書の言葉は、「水のもとに来るがよい」と記されています。私たちがただ待ち尽くしても、水を飲むことは決してできません。水場へ集まるのです。その場へ私たちが向かうのです。イエスの言葉を受けようと、神の良いものをいただこうと、私たちは腰を上げて能動的にその場へ赴くのです。本当に喉が渇いていれば、水場へ私たちは駆け込むでしょう。だだ自動的に流れてくるものを受けているだけでは、もちろん生理的に喉を潤すことができるのだと思いますが、やはり、私たちにはそれ以上の「渇望」を味わうことは難しいのかもしれません。私たちの心が、思いが、水場に向かうことを神は私たちに期待しておられるのです。
イエスの言動に聴き、それを豊かに受け取り、自分自身の言動の支柱とすることへの幸いというものを、今日も是非味わってまいりたいと思います。皆さんの一切に、渇きを癒やしてくださる主がともにいてくださいますように。お祈りします。