くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
サムエル記上1章27節
主は私が願ったことをかなえてくださいました。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章58節
エリザベトの近所の人々や親類は、主が彼女を大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
******
皆さん、おはようございます。
昨日は、主の日の礼拝を楽しまれたことと思います。いただいた御言葉を携えて、今週もその日々を歩んでまいりたいと思います。関東以北では、台風が訪れつつあります。少しでも災害から免れることができますようにと祈るばかりです。そして、シルバーウィークを過ごされる皆さんに、安全が豊かに与えられることもお祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句から、今日私が受け止めたいと思ったことは、「神は何でもかんでも、私の要求や願いをかなえてくれるわけではない」ということを、いかに肝に銘じることができるか、というところにありました。
今日の旧約聖書の言葉は、サムエルを身ごもった母ハンナによる感謝の言葉でした。子が与えられるようにと、ハンナは神に祈り続けました。当時の世界において、子が与えられるというのは、ひとつの祝福のしるしでした。しかし、主とともに忠実にその人生の日々を歩んでいたハンナにとって、子が与えられないというのは、大きな苦しみとなっていきました。そんななかで、神はハンナに子を身ごもるという祝福を与え、かくしてサムエルは誕生しました。
この言葉を読むのには注意が必要です。なぜならば、世の中には不妊で苦しむ多くの女性たちがおられるからです。「子が与えられない=神に祝福されない」と、すべてに適用するのは決して正しいことではありません。そのような聖書の読み方は乱暴であると言えるでしょう。これは、ハンナ自身の状況について語られたものですから、私たちにすべてを適用する必要はないと私は考えています。
しかし、神とともに歩むことを第一とするなかで、今自分自身が苦しんでいることを神に打ち明けたときに、苦しみを解放させてくださる神がおられるという点については、私たちがぜひ聴くことのできるメッセージなのだと思います。神とともに歩むことで得られる幸いというものは、私たちのタイミングではなく、神のベストなタイミングをもってなされるのだ、ということなのです。
逆に、私たちの要求が何でもかんでも神によって叶えられると思ったら大間違いだと、私は自戒を込めて受け入れたいと思います。あくまで、神がどう思われるかということを、私は第一にしたいのです。神とともに歩み、神の御心に聴こうとしないなかで、自分自身の要求を神にぶつけるとしたら、それは身勝手というものなのでしょう。
今日の新約聖書の言葉は、洗礼者ヨハネを身ごもり、出産した老女エリサベトについての言及でした。基本的にはハンナと同じことが言えるのだと思います。エリサベトも夫ザカリヤとともに、神とともに、その人生を忠実かつ誠実に歩んでいた人物でした。
周囲にどんな評価があろうとも、環境がそうさせなかったとしても、神の御前に誠実であることの大切さというものを、本当に大切にしながら、今日の一日も歩んでまいりたいと思います。一切に、神の御心が明らかにされますように。皆さんの主にある平安と祝福を、心からお祈りします。