くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
コヘレトの言葉9章10節
手の及ぶことはどのようなことでも、力を尽くして行うがよい。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙3章17節
そして、言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「神が望まれることを、心を込めて生きる」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、コヘレトの言葉の一節でした。コヘレト(知恵者)は、できることならば、力を尽くして行うことを勧めていますが、この言葉は、何でも自力に頼って事をなしなさいということを言っているわけでは決してありません。そうではなく、私たちが今ある「立場」というものを認識・自覚したうえで、神が私に今与えられている務めに対して、誠実に生きなさいということを勧めているのです。
たとえ類まれなる能力を持っていたとしても、その能力をいかんなく発揮したとしても、その結果を出せたとしても、私たちの心が100パーセント満たされるとは限りません。どこかに不満と悔いが残ることだって、私たちの世界には往々にしてあることを、私たちはよく知っています。私たちは自分の思いどおりには何もかもうまくいかないということを痛感するのは、とても大切であると言えるでしょう。
しかし、神が与えられた務めというものは、私たちのそのような限界をすべてご存知である神が、そのことを十分に承知なうえで、私たちに生きることを求めておられます。だから私たちは、物事の結果にいちいち一喜一憂する必要はどこにもないのです。振り返りは必要でしょう。しかし、振り返るとすれば、それは、私たちが事をなそうとした際に、神が私たちとともにいてくださるということに、心からの信頼をもって向き合っていたかどうかという振り返りなのです。
今日の新約聖書にある「主イエスの名によって」というのは、その振り返りが意味するところの「主がともにいてくださる」ということへの、私たちの認識が問われている言葉なのです。私たちは、いとも簡単に神をないがしろにして、さも自分自身だけで生きているような感覚に陥ります。そして、神不在の状態で自己憐憫の気持ちにさせられたり、他責思考で簡単に自分自身の思いどおりに動かない社会の責任にすることによって、自分自身を省みることすら忘れてしまうのです。
だからこそ、神である主が私たちに生きる使命というものを具体的に提示してくださることを、いかに私たちがゆがみなく、それを受け取り、この世の中で生きていくかということが、大変重要なのだということを、私は今日のふたつの聖句を通して受け取りたいと思ったのです。
与えられた時間と機会、出会うひとひとに対して主にある誠実をもって、心と力を込めて向き合うことができますように。その営みに神の助けといつくしみが豊かにありますように。今日一日の私たちの平安な生活のために、心からお祈りします。