くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編65編9節
朝と夕べの始まる所に
あなたは喜びの歌を響かせてくださいます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録16章34節
看守は二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日は、広島に原子爆弾が投下されて81年を迎える記念日です。決してほめられたものではない記念日ですが、この日を通して、あらためて平和とはいったい何であろうかということを、じっくりと考える一日として過ごしてまいりたい。そんなことを想いつつ、今日のみ言葉に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「世界中に神の平和がいきわたる」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書のことばである詩編の一節に「朝と夕べの始まる所」という表現がありました。朝の始まる場所は東であり、夕べの始まるところは西と考えれば、神のつくられたすべての場所でと読むことができると私は思いました。ちなみに、今日の聖句の65編9節の前半部分には「地の果てまで」とあります。私の決して知ることのないところまで、神の平和は漏れることなく広がりゆくことを示す賛美のことばなのだと私は思います。
私たちの知る世界は、非常に限りある範囲内のものであることを、私たちはよく知っています。どれだけ情報網や交通網が発達したとしても、私たちが知ることのできる量というものには限界があるのです。私たちは限りある世の中で、時に他人事となり、ある時には「井の中の蛙」となってしまうのです。世界のどこかで、大なり小なり人と人、国と国とのあいだに憎しみや戦いが繰り広げられたとしても、私たちは自分自身の限界というものを、認識しなければならないのです。
そのようななかで、神は東西南北のすべてをつぶさに見ておられるのだというのが、私たちの信仰なのです。神が不在の世界などありえないのです。もしあるとするならば、それは私たちが神の存在をないがしろにする時なのでしょう。あるものをないものかのように扱うときに、私たちは限界という壁にぶつかり、それを乗り越える方法として平和と逆行するような行為に走ってしまうのです。
しかし、そうではないのです。神のなさることに私たちは自分たちの限界を超えて働かれることを知った時に、そこには喜びがあり救いがあるというのです。今日の新約聖書のことばは、大地震というアクシデントに遭遇してパニックになった牢獄の監守たちに、主の弟子のふたりであるパウロとシラスが、救い主イエスを信じることの幸いを伝えることで、それら看守に平安と喜びを与えました。そして、命救われたことをともに喜ぶことができたのでした。これは、私たちの想像を超えた神の力によるものでした。
大切なことは、私たちがいかに限界あるなかにあったとしても、希望を忘れることなく神のなさることに信頼を寄せて生きることができるか。そんなことを、私は今日の聖句を通して問う一日でありたいと思ったのです。
今日の一日が、神の平和を心から感じる時となりますように。心からお祈りします。