くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
アモス書5章14節
善を求めよ、悪を求めるな
あなたがたが生きるために。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙一5章15節
誰も悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。互いに、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日私が受け止めたいと思ったのは、「『善』とは何か?」ということです。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書と新約聖書をつなぐ言葉が「善」であり、その対極にある「悪」という言葉でした。私たちは善悪のどちらも兼ね備えている存在であることは、皆さんもご存知の通りだと思います。では、その善悪に対して、私たちがどのような見方をするのが大切かというのが、今日の聖句を読み解くポイントになるのだと思います。
そもそも、善という言葉は、私たち人間の産物ではないという大前提があります。善とは与えられるものであり、そのいただいた善をもって、私たちが善行を自分自身の営みとすることができるというのが、聖書が語っている「善」に対する見方なのです。そして、善の与え主こそ、私たちの神以外に誰もおられないのだ。だから、善である神が、ご自分のものを私たちひとりひとりに分け与えてくださることで、私たちは善をいただくことができるのだということなのです。
つまり、今日の旧約聖書の言葉である、アモス書の一節で語られている「善を求めよ」とは、換言すれば「神を求めよ」ということなのです。道徳的に美しい行いを求めよ、善いとされることを求めなさいという前に、まず、神御自身の姿がなんであり、私たちに対する善い取り扱いすべてを求めなさいという意味で、この聖句は語られています。この前提無くして、善行もなにもあったものではないからです。
私たちが神を心の底から求めるとき、神は私たちのために、「善」をもって取り扱ってくださったことを思い起こせるように、神が導いてくださいます。そのことを信じて、善を求めることのできる一日となりますようにと祈ります。決して神不在の状態でそれに報いることなく、です。皆さんの今日一日の、主にある平安と祝福を心からお祈りします。