くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編146編8節
主は見えない人の目を開く。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書7章22節
それで、(イエスは)こうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
目の見えない人の目は開かれる。
私は昨日、受診するために眼科へ行きました。そこで医師にいくつか質問をして、私の左眼の視力は前のように戻ることは非常に難しいということを、あらためて知らされました。これ以上悪くならないための治療を、これから続けますということでした。
それでも、うすぼんやりではありますが、左眼が少しは見えているということ、右眼は問題なく機能しているということが、今の自分自身にとって励みとなっています。ただ、前のようには戻らないと耳にすると、どうしても胸にドスンとなにかが突き刺さるような感覚にさせられます。ああ、元のように戻ることはないんだ。何かを失うということへの喪失感というものを感じながら、昨晩を過ごしていました。
今日のローズンゲンの言葉は、目の見えない人の目が開かれるというものです。実際にイエスによって視力が回復する奇跡というものを経験した人もいましたし、いにしえから、信仰者たちが神に対して希望を告白する聖書の言葉には、見えない目が開かれるといった表現を数多く、私たちは見ることができます。
私は、今の自分自身の心境に照らし合わせながら、今日の聖句をいただくときに、たとえ物理的な視力が失われたとしても、かえって「神を見る眼」というものについて考えさせられる大きな機会をいただいているとも感じたい自分自身があることに、あらためて気づかされています。どんなことがあっても、何かが失われたとしても、私たちは神まで失ってしまうことは決してないのだ、神がなんとかしてくださる。このことゆえに、前向きに生きることを楽しもう。これが、今日の聖句を通して受け止めたいと思ったことです。
台風が列島を襲い、不安のなかを歩まれている方々もおられることと思います。どうか、神が私たちの不安とともに歩んでくださいますように。安全を祈りつつ、今日一日の主にある平安を、心からお祈りします。