くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
箴言4章18節
正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一3章14節
しかし、義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も神のみことばが、私たちの心にしみわたる時に、私たちの生きる慰めや励みとなり、力となっていきますように。そんなことを願いつつ、ローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、黙想をしてまいりたいと思います。
今日のふたつの聖句に共通する言葉は「正しさ(義)」でした。正しさは私たちを幸いなものとするということを、この聖句は私たちに伝えています。しかし、その正しさとは何なのでしょうか?
私たちは誰でも、正しさというものを抱きながら生活しています。しかし、その正しさはまさに千差万別と言えるでしょう。正しさは、人に良かれ悪しかれ他者に影響を及ぼします。人のために正しさが働くこともあれば、自分自身を守るために正しさが主張され、発揮されることもあります。正しさという言葉が世の中のゆがみやねじれをただすこともあれば、自分のうちにある悪を正しさという言葉にすり替えて、悪が助長されることもあるでしょう。
だからこそ、本当の正しさとはどこにあるのかということに、私たちは思いを寄せることが大切なのだと思います。私たちには、ひとつの「正しさ」が提示されました。それは、まさに「神の正しさ」というものです。神は正しいお方である。この定義を事実と認め、その正しさによって生きる者こそ、たとえ苦しくても心の幸いが与えられ、その正しさによって生きるときに、神の正しさを帯びた者として、朝日の光、真昼の輝きのように、この世に対して、隣人に対して生きることが可能たらしめるというのです。これが、今日の聖書の言葉が伝えようとしていることなのです。
自分の主張を補強するために、独り善がりな正しさを前面に打ち立てるのではなく、神の正しさの前に自らを低めて生きようとしたときに、神は私たちに輝きを与えてくださることを信じて、この一日を歩んでまいりたいと思い、願わされます。そのような連鎖と連結こそ、この世の中のゆがみを矯正してくださる神に対する信頼を高めるものとなるのでしょう。
どうか、今日もそのような一日を過ごすことができますように。自らの正しさに生きるのではなく、神の正しさの前にみんなが恩恵を受けることができますように。そんなことを心から祈り、一日を過ごすことができますように。皆さんの生活が、素敵なものとなりますよう。心からお祈りします。