08/11/2026

2026.11.8(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
創世記13章8節
アブラムはロトに言った。「私たちは親戚どうしなのだから、私とあなた、また私の家畜を飼う者たちと、あなたの家畜を飼う者たちとの間で争い事がないようにしたい。」

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章3節
平和の絆で結ばれて霊による一致を保つよう熱心に努めなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
新しい一週間が始まりました。随分冷え込んだ朝を迎えました。どうか新しい七日間の旅路もまた、神が私たちの心と身体をご自分の言葉と聖霊の力で助けてくださいますように。そのことを願い、祈りつつ、今日のローズンゲンによって示されたふたつの聖句から、黙想を得たいと思います。
 
今日の聖句は、私たちの偽らざる現実というものを、如実に突きつけているような気がしてなりません。どんなに私たちが平和に生きようとしても、なぜかいがみあう、うらみあう。そんな私たちの罪深さについて、深く考えさせられる聖句だったのです。では、私たちを本当の意味で「ひとつ」にするものはなにか。それこそ、私たちをキリストにある一致へと向かわせる「聖霊の助け」に他ならないのだと。
 
さて、日本基督教団讃美歌委員会から出版されている『こどもさんびか』に、「きょうだいげんかを」という賛美歌があります。多くの童謡をこの世に送り出した、阪田寛夫・大中恩コンビによって作詞作曲された作品ですが、私はこの曲が大好きなのです。その歌詞をご紹介したいと思います。
 
1.きょうだいげんかを しない日は
  とおかにいちどか 月にかい
  なかよくするのは むずかしい
  神さま 神さま 神さま
  そのわけ おしえてください

2.しらないどうしで けんかする
  したしくなっても またけんか
  なぜだかさっぱり わからない
  神さま 神さま 神さま
  そのわけおしえてください

3.こころがよわると うらみあい
  はりきりすぎると いがみあう
  なんだかかなしく なってきた
  神さま 神さま 神さま
  そのわけおしえてください

4.そのくせあるとき わけもなく
  みんなにやさしく したくなる
  だれかにおわびを したくなる
  神さま 神さま 神さま
  そのわけおしえてください

  おしえてください 神さま
 
私たちは自分のうちにある正義というものが、どういうところから起きているものなのかということを、今いちどじっくりと考える必要があるのだと思います。神は私たちをひとつにするために、聖霊様を与えられたという事実があり、歴史があるのです。このさんびかのように「おしえてください、神さま」と、みずからを低めつつ、神に問い続ける姿勢というものを大切にしたい。そのように強く思わされたのでした。
 
今日も聖霊の助けが、私たちの命と生活を豊かなものとしてくださいますように。心から祈りつつ、皆さんの主にある平安を心からお祈りします。

07/11/2026

2026.11.7(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編104編4節
あなたは風を使いとし
燃える火を従者とする。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書28章1~2節
大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がして、その上に座ったからである。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この最後の一日を、私たちは振り返りつつ、新しい週へつなぐための大切な機会にできればと思いました。今日もそれぞれの立場で忙しい一日を過ごされるかと思います。そのすべてに、神である主が豊かにともなってくださいますようにと祈り、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句から黙想を得たいと思います。
 
今日のふたつの聖句に共通するテーマは、「自然をも司り、そして支配される神」であると私は受け止めました。確かに、世界の創造主である神が、自然をも支配される方であることに、疑問の余地を挟むことはありません。しかし、このような聖句を目の前にすると、私は正直「戸惑い」を覚えます。自然を支配される神がおられるならば、なぜその自然によって、多くの災害が発生するのだろうかという、いわゆる「神義論」的な疑問というものを持ってしまうからです。
 
多くの自然災害は、時に人間の行き過ぎた開発の「ツケ」であることが指摘される場合があります。なので、すべての自然災害の責任を、神に被(かつ)けるわけにはいきません。私たちの自然との共存の仕方というものは、あくまで神の創造の結果をいかに維持し、それを神の御心にしたがって運用できるかということにもかかっているからです。これが、「神の栄光を現す自然に対する管理」という、人間に委ねられた責任なのだと思います。
 
そのうえで、私たちは神から被造物の管理を委ねられた者として、大切にし続けたいものがあるのです。それは、上にのべたとおり、「神をほめたたえつつ、神の御心に生きる」ということなのだと。
 
ローズンゲンの原著(ドイツ語版)には、旧約・新約につづいて「第3のテキスト」と呼ばれる、聖句のテーマに沿った祈りや賛美の言葉が記されています。今日のそれは、こういうものでした。

「地、水、空気、火、そして天の炎よ、人も天使も皆が一緒に、地にあっても天にあっても、いつくしみ深い父を賛美しよう」
(バーデン版讃美歌8番6節、1697年、ストラスブール)
 
私は、この第3のテキストの「いつくしみ深い神を賛美しよう」という言葉に尽きると思いました。人間の思いが自分勝手に動くのではなく、神の栄光をほめたたえ、そのいつくしみに感謝できるような存在として、自然のなかで歩みたいと願わされました。
 
今日の一日が、神をほめたたえることの幸いを思う時となりますように。心からお祈りします。

06/11/2026

2026.11.6(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書58章7節
飢えた人にパンを分け与えよ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書25章35節
あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
昨日はぐっすりと眠ることができ、少し遅めの目覚めをもって朝を迎えました。今日もすべての働きが神の喜びによって支えられることを願い、祈りつつ、ローズンゲンによって示されたふたつの聖句から黙想を得たいと思います。
 
今日のふたつの聖句を通して、私がいただきたいと思ったメッセージは「神の喜びを分かち合う幸い」というものでした。そのことのモティーフとして、「食べ物」にまつわった聖句が選ばれています。
 
私が食べるその食べ物は、もちろん私が成長するために必要不可欠なものですが、しかし、それを独り占めしてしまったのでは、喜びも半減するのだということを、今日の聖句は私に教えているような気がしてなりません。食べることを通して得られる喜びは、分かち合うことによって、その喜びが2倍、3倍にもふくれあがるのだということです。
 
なぜならば、その喜びの源は、私たちの神の喜びだからです。神はご自身の喜びを独占することを決して許さないからこそ、ご自分のつくられた世界を、ご自分と同じかたちをもって造られた人間と共有しようとなされたのです。その結果、人間は神の喜びによって創造されました。
 
それならば、私たちが味わう喜びは、独り占めしてはならないものなのです。他者と分かち合ってこその喜びであり、それが神の何よりもの願いであることを、私たちは忘れてはならないし、私のものはあなたのものでもあるという思いを、大切にしていきたいのです。
 
なにもこれは食べ物だけに限ったことではありません。神が与えてくださる喜びのすべては、神の喜びとして共有してしかるべきなのです。この共有の連鎖が、世界を平和なものへと神が導いてくださることへの紛れもない根拠であって、私たちの揺るがない幸福へとつながるのです。このことを希望の糧として、今日の一日を歩んで生きたいと願わされました。
 
神の喜びを分かち合うことの幸いが、今日も私たちを包み込みますように。そのことを願い、皆さんの主にある祝福を、心からお祈りします。

05/11/2026

2026.11.5(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ミカ書5章3節
彼は立ち上がり、彼らは主のうちに牧草をはむ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書10章28節
(イエスの言葉)
私の羊たちを私の手から奪う者はいない。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
今朝も寒い朝を迎えました。昨晩天気予報を見ていたら、来週はさらに冷え込むのだそうです。こうして冬が一歩、一歩近づいて来るのを感じます。しかし、その冬は決して、私たちにとってもの悲しさや孤独を感じさせるものではないのだということを、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句からいただくことができましたので、そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
今日のふたつの聖句から、私が得たテーマは「羊飼いである主イエス」でした。今日の旧約聖書であるミカ書5章は、やがて来たるメシア(救い主)について書かれた預言のことばです。ここで言う「彼」とは、そのメシアを指し、「彼ら」とは、メシアによって養われる羊の群れである私たちのことを指します。メシアがおられるからこそ、私たちは安心して牧草を食(は)むことができるのです。
 
もの悲しさや孤独を感じることがあります。誰も助けてくれないと嘆くことがあります。ひとりぼっちでいることに、耐えられないと感じることがあります。だから、私たちは人に依存しようとします。しかし、その人ですら、私たちと同じなのです。十分に頼り切る相手にはなり得ないことを知った時に、私たちはなおさら孤独を感じることすらあるのです。
 
だからこそ、たとえ目には見えなくても、私たちをしっかりと守り、行くべき道を示され、私たちを導かれる神が、今日も私たちとともにおられるのです。そのことを、昔も今も、洋の東西を問わず、神によって守られてきたことを実感してきた人々は、歌にしたためました。人々に希望の言葉として語りました。そして、そのことは書物に収められて、私たちはそれを聖書の言葉としていただくことができているのです。
 
私たちのメシアであるイエスは宣言されました。「何者の手からもあなたが奪われることは決してない。なぜならば、私があなたを守るから」と。羊飼いであるイエスが、私たちの生きる命を、しっかりと守ってくださるというのです。この言葉に支えられながら、私たちは神に祈りをささげ、今日の与えられた一日を、神とともに歩む幸いを信じて歩むことが大いに許されています。
 
どうか、皆さんの歩まれる一日が、そのような守りのなかにあることを味わい知るものとなりますように。主にある平安と祝福を、心からお祈りします。

04/11/2026

2026.11.4(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書1章17節
主は再びシオンを慰められる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書16章32節
(イエスの言葉)
あなたがたには、今は苦しみがある。
しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い取る者はいない。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
昨日の休日を、皆さんはどのように過ごされましたでしょうか。私も日々の雑踏から離れて、昨日は一日したいことをすることができました。ある意味「文化的」な一日を営むことができました。リフレッシュしましたので、今日からまた励んでまいりたいと思います。
 
今日のローズンゲンを通して選ばれたふたつの聖句ですが、これら聖句に共通する言葉は「再び」というものでした。私は今日、この言葉に注目し、黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉として選ばれたのは、ゼカリヤ書の一節でした。神の言葉を預かり、それを人々に伝えていたゼカリヤが活動したのは、ユダヤの民がバビロン捕囚から解放されて、無事にエルサレムへ帰還した頃でした。つまり、荒廃したままであった都エルサレムと、捕虜から帰ってきたユダヤの民にとって、彼らの願うところは「再生」であったことは、間違いありませんでした。
 
しかし、究極的に、再生をするのは彼らの自助努力によってではありませんでした。そうではなく、私たちの神が民たちの心に「再生」の思いを土台から与えない限り、彼らがどんなに再生の思いがあり、それに向かって頑張ったとしても、またバビロン捕囚前と同じことを繰り返してしまうに違いありません。神を信じていると公言しながら、結局のところ、それがポーズだけで終わってしまうことの繰り返しです。
 
だからこそ、神が私たちの心にしっかりとご自分こそあなた方の神であり、私があなたがたを守り、ご自分の道を歩めるように整えてくださるのだ。この思いこそが、今日の聖句にもあるように「再び」という言葉に十分に込められているのだと私は思うのです。
 
民たちの疲れ果てた心を慰め、再び神とともに歩む思いを与えられる神がすぐそこにおられる。神は、私たちのその日生きる命の再生を、今日もお与えになられているのです。私たちもまた、朝の目覚めとともに、命の再生を経験し、命の与え主である神とともに歩む幸いというものが、間違いなく準備されていることを、今日のゼカリヤ書の一節は、私たちに明らかにされました。
 
だから、たとえ目の前に苦しみというものが、私たちの生活を阻んだとしても、私は「再び」あなたがたと会うことによって、あなたがたは喜びに満たされると宣言されたイエスの言葉が、私たちの心に活力を与えるのです。今日の新約聖書の言葉に示されたイエスの言葉は、イエスが十字架に架けられる直前に語られたものでした。どんなことがあっても、民たちの心を再生に向かわせる神が、今も私たちの慰めとなり、励みとなるのです。
 
そんな思いをもって、今日も神によって備えられた再生の道を、私たちは神に導かれながら歩んでまいりたいと思います。どうか神が、私たちのその歩みを確かなものとしてくださいますように。そのことを心から願いつつ、主にある平安と祝福を、心からお祈りします。どうぞ素敵な一日をお過ごしくださいますように。

03/11/2026

2026.11.3(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書40章28節
あなたは知らないのか
聞いたことはないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、弱ることなく
その英知は究め難い。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙11章36節
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。
栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。今日は「文化の日」。ひと日の休日を楽しまれる方も多くいらっしゃるかと思います。どうかこの一日を与えてくださった神が、すべての営みに意味と祝福を与えてくださいますように。そのことを祈りつつ、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して黙想をつづりたいと思います。
 
今日の聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「過去・現在・未来を貫かれる神」ということでした。今、ここだけの神ではないのです。私の知らない歴史をすべて貫かれる神が、ご自分によって造られたすべてのものを愛し、その命を守り、生きる意味と祝福を与えてくださるというのです。
 
ここのところ、「納骨式」が続きました。かつてともに生きた方の、地上での生涯が終わり、ご遺骨となった現実が、墓に収められることで、なおさら異次元の世界へ行ってしまうような感覚というものを、私たちは抱いてしまうかもしれません。しかし、決してそうではないのです。今、私たちの生きている世界と異なることがあったとしても、決して変わらないものがある。それは、神がその人のことを何の変わりもなく憶えつつけてくださっている、ということなのです。
 
そのことはまさに、今日の新約聖書の言葉に如実に示されているのだと、私は受け止めました。「神から出て、神によって保たれ、神に向かっている」という言葉です。私たちの可視的ものを超越して、神はその人の命をご自分のものとされ、永遠の平安のなかにしっかりと守ってくださる。だから、私たちは「復活の希望」というものを抱くことが大いに許されているのだということを、再び味わい知ることのできる機会だったのです。
 
すべてを貫かれる神が、今日も私のいのちをも貫いてくださる。そんなことを心の希望として、一日を歩んでまいりたいと思います。どうぞ皆さんの新しい一日にも、神が豊かに臨んでくださいますように。心からお祈りします。

02/11/2026

2026.11.2(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編7章9節
主はもろもろの民の裁きに当たられる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録17章31節
神は先にお選びになった一人の人の力によって、この世界を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
今日も、私たちを「裁く」神が、私たちに良い影響をもたらしてくださいますように。そんなことを、今日のローズンゲンによって選ばれたふたつの聖句は、私に教えてくださったと感じました。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
私たちは「裁く」という言葉に、どのようなイメージを抱くでしょうか。国語辞典(広辞苑第七版)を開くと、その意味は非常に多岐にわたっていることがわかります。
 
 ①からまったりくっついたりしているものを手で解き分ける。
 ②魚・鳥などを、切り開いて肉・骨などに分ける。
 ③手足を使って巧みに扱う。体を巧みに動かす。
 ④錯雑した物事をきちんと処理する。管理する。
 ⑤理非・善悪を判断する。第三者が争いごとに決着をつける。
 ⑥商品を売りこなす。
 ⑦さっぱりと派手にふるまう。
 ⑧ふるまう。おこなう。

といった具合です。そのなかで、私たちが今日の旧約聖書・新約聖書で用いられている「裁き」という言葉の意味に、最も近いのは⑤であるだろうと思います。神という第三者が、この世界に対する理非や善悪を判断するということです。しかし、私は④にも近いと思ったのです。この世界の錯雑、つまり混乱した状況を、神が処理し管理してくださるということが、裁きによって実現されるということです。さらに、その状況は①にも大きく関わってくると思ったのです。私たちの世界で複雑にからまってほぐすことができないような問題に、神がご自身のみ手をもって、解きほぐしてくださるというのです。
 
そこには、神御自身の「判断」というものが大きく関わってくるのです。実は、裁きと日本語に訳された言葉には、元来「判断(する)」という意味があるのです。ですから、裁きとは、何も断罪するといった意味だけでは語られていないのです。そうではなくて、神の極めて公正な判断が、この世界の複雑な状況のなかで働かれるときに、私たちひとりひとりの歩むべき道が示されるということなのです。その道の行きつく先は、神が本来人間に対してお望みになられている「祝福された人生」のひと言に尽きるのです。
 
ですから、もし、裁きという言葉が、断罪という意味だけでとらえて、裁かれることの怖さを感じるのであれば、それはむしろ逆なことであって、私たちの心と思い、そして身体に、神のご判断が豊かに働かれることに、私たちは大いに喜ぶことができるのです。そのために、神の言葉である聖書が与えられ、その言葉が神の言葉として私たちに響くべく聖霊の助けが与えられ、そのことを共有する信仰共同体の交わりが与えられたのでした。
 
私たちが今日も、聖書の言葉に聴き、聖霊の助けを十分にいただき、少しでも健やかにこの世界で生きることができますように。皆さんの主にある平安と祝福を、心からお祈りします。