くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ヨブ記9章10節
神は偉大なことをなさり、究め難く
その驚くべき業は数えきれない。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章14節
主イエスを復活させた方が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなたがたと共に御前に立たせてくださると、私たちは知っています。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日午後から、30度を下回り、涼しい陽気の仙台です。今日は雨の一日の予想です。梅雨に戻ってしまったような感じもしますが、雨が緑をうるおすこともまた恵みなので、そんな一日に感謝しながら、与えられた時を過ごしたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日、私が受け止めたいと思ったのは、「神のなさることの不思議さと偉大さ」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
義人ヨブは、みずからに災難がこれまでもかと降りかかった時に、それでも自分に命を与えられる神をほめたたえました。そして「神のなさることは究め難い」と、ヨブは神をそのように見ていたことが、今日の旧約聖書の言葉に記されています。ヨブは、悪魔のいたずらによって、神から祝福されたことへのしるしとしての財産や家族を、ことごとく奪い去られてしまいます。それどころか、ヨブ自身の健康までもが奪われてしまいました。
そのような時に、私たちはどのように考えるでしょうか。神がおられるならば、なぜそのような苦しみに遭わなければならないのかと、自分の境遇をうらみ、神の無力さというものを感じることもあるでしょう。それでも、ヨブは「神は偉大なのだ」という、かつての記憶をかき消すことは決してなかったのです。
ヨブは、自らのかつての記憶のなかで、しっかりと神のなさることは、人間のちっぽけな知識の範囲では想像もできないくらいに、素晴らしいものなのだというところに、自分自身の確信を置いていたのでしょう。だからこそ、苦難の中でも、それを励みとして生きることができた。今日の聖句は、そのようななかで語られたヨブの神に対する告白であったのです。
私たちは、このヨブの姿勢に聴きたいのです。実際に、私たちは、より明らかにされた「神からの救い」というものを、イエス・キリストによって得ることが大いに許されているのです!イエスを犠牲として惜しみなく差し出しただけではなく、死からの復活というできごとを通して、神が与えられた命というものを決して無駄にしない神の人間に対する姿勢というものが、私たちひとりひとりに明らかにされたのでした。これこそ、「神の偉大なみわざ」そのものなのだと。
今日も、私たちの命を活かしてくださる神が、ご自分の偉大なみわざを私たちに明らかにして、それを見せてくださるのです。もし、そのようなことを感じられない私があるならば、必ず神は良きように導いてくださるということを、私たちの希望として生きていきたいのです。今日の聖句を通して、私が受け取りたいと思ったメッセージはそのようなものでした。
どうか、今日の一日も、皆さんの一切に恵みを雨を降らせてくださる神が、平安と祝福を注いでくださいますように。心よりお祈りします。