くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
創世記5章2節
神は彼らを男と女に創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、人と名付けられた。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙12章10節
相手に敬意をもって丁寧に接しなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
ここ数日、黙想をお届けすることができず、申し訳ありませんでした。今日は今週最後の一日ですが、私は、教会員の方の葬儀を執り行います。心を込めて、神の導きが豊かにあることを心から祈りつつ、一切を司り、慰めと励ましを与えてくださる神の恵みがあふれるような葬儀のひと時となればと願います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「相手に敬意を抱く理由」というものでした。このことについて黙想をつづりたいと思います。
相手に敬意を抱く理由。それは、その人を愛情をこめて造られ、命の息吹を与えたのは神だからです。神は人間を創造されたときに「祝福された」と、今日の旧約聖書には記されています。神の祝福が人間に与えられたということは、その祝福が人間同士にあふれることこそ、神が願っておられることなのだということを想わされます。
しかし、どうでしょう。人間同士が敬意を持てないことなど、私たちの世界ではざらにあるのではないでしょうか。なぜでしょうか。そこに神はいないからです。どんなに神を信じていると自覚していたとしても、私たちの感情や思考が、神の存在よりも強く、大きなものになってしまうときに、自分の期待通りに動かない相手に対して「敬意が抱けなく」なってしまうのです。誰でも、大なり小なりそういうことはあるものです。
誤解を恐れず申し上げれば、そのような状態はもはや、神のみ心に沿っていないことを意味します。神を信じているという言葉すら、空しいものとなってしまうのです。この神から乖離され、空しい状況こそ、私たちが痛感しなければならないことなのだと、私は自戒を込めて思わされるのです。神の祝福を踏みにじっているのですから。
しかし、そんな私たちにですら、祝福を注ぎ続けておられる神がおられるということを、私たちはしっかりと握りしめたいのです。神が祝福された人間であるということをです。
この世の中は、私たちのゆがみによってさまざまな差し障りというものを生んでいるからこそ、神の祝福を無駄にしない生き方というものが問われているのだと。これが私の今日受け止めたいと思ったことでした。
一週間の終わりである今日の一日もまた、神の祝福を心から感謝できるような時となりますように。私たちが神に敬意を払うことが、どのように人に向けられるかを考えることができますように。皆さんの主にある平安と祝福を、心からお祈りします。