くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ダニエル書9章7節
主よ、あなたは正しい方です。しかし、今日このとおり、私たちは、恥辱に直面しています。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書25章45節
そこで、王は答える。「よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も皆さんに生活を与えてくださった神が、皆さんをご自分の道へと豊かに導いてくださいますように。皆さんの神にある祝福と平安を、心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「恥辱とはなにか」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、ダニエル書9章の一節でした。バビロニア帝国によって捕虜の身とされたユダヤの民のなかから、神の言葉を預かり、それを伝える預言者として立てられたダニエルが、民族を代表して神に祈りをささげている。その祈りの言葉の一部が、今日の聖句となっています。
なぜ、私たちは祖国を追われ、辛酸をなめ、恥辱を味わっているのだろうか。ダニエルはその理由を「自分たちの父祖が神の思い願いに沿って生きなかったから」と自覚し、神と歩調を合わせなかった先祖たちの「罪」を、今自分自身が自覚的に負い、神へざんげの祈りをささげているのです。
しかし、ダニエルはそのような悲惨な状況にあっても、神が私たちを愛し、憐れみ続けてくださっていることも自覚していましたから、そのことも祈りのなかで感謝の言葉としてささげていることが、他の節から読み取ることができます。そして、それは「神である主の正しさ」から来るものであることをも、ダニエルはよくわかっていました。
決して人にその責任を被せるのではなく、その責任から逃げるのでもなく、神への感謝の念を忘れることなく、神とともに歩むことの幸いを自覚しつつ、その幸いを心から願う祈りを、ただ謙虚に神へささげたのでした。今、自分自身が神の御前にあって弱く、小さくされた者なのだというのが、ダニエルの偽らざる心境だったのです。
この謙遜な意識があったからこそ、ダニエルは同胞のために祈ることができたのでしょう。同胞が神によって救われることを信じつつ、接することができたのでしょう。このモデルこそ、今日の新約聖書の言葉に相通じるのかもしれません。
この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。イエスは弟子たちにそのようなことを弟子たちに語りました。今日の新約聖書の言葉です。「この最も小さな者の一人」とは誰でしょうか。周りを見渡す前に、まず自分自身がそのような者であるという深い認識があるならば、決しておごり高ぶることなく、神の憐れみの心をもって、他者に接することができるのだと、私は受け止めたいのです。
神の憐れみが行きわたるとき、それはイエスの心に応えることにもつながるのだ。私に対してしたかしなかったかというのは、イエスが私たちに示してくださったその価値観と生き方に、私たちがいかに応答しているかということへの問いが、私たちに与えられているということなのだと、私は受け止めたいのです。
今日も、そのような言葉が私たちの心に浸みわたり、神にまなざしを向けて祈り、自分の心を整え、新しい一日の旅路を歩むことができますように。神の守りと憐れみを、心からお祈りします。