くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編27編14節
主を待ち望め。勇ましくあれ、心を強くせよ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書11章21~22節
マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いすることは何でも、神はかなえてくださると、私は今でも承知しています。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンによって選ばれた新約聖書の言葉は、イエスの友人であったラザロが亡くなってしまった時に語られた、ラザロのきょうだいマルタのイエスに対する告白の箇所です。
愛する者を失うという悲しみに、マルタは直面していました。そのような状況のなかで、マルタはイエスに対して、心からの信頼を投げかけました。あなたがいてくださったら死ななかったのにと。でも、あなたが神に頼んでくだされば、神はあなたの願いを叶えてくださる。マルタによるイエスへの深い信頼の念がこもっています。
これは、マルタの願望がイエスを利用したという話では決してありません。どんな願いであれ、イエスにとってふさわしくないと感じれば、その願いは神へ聞き届けられることはなかったでしょう。マルタの切なる願いというものが、イエスの思いにふさわしく、また合致するものであったからということを確信したからこそ、マルタは臆することなく、イエスに自らの思いというものを吐露することができたのだと、私は思うのです。
そこには、深い信頼の念というものが込められていました。それは単なる友人関係だったからでしょうか。究極的にそうではありません。イエスは神に委ねられた愛する隣人の存在を、神の信頼にふさわしい者としてみなし、隣人を愛するという神のおきてにしたがって、神の信頼を自分自身の生き方としていたからこその信頼関係であったということです。
その信頼関係にマルタが十分に呼応できたからこそ、マルタの願いが願いとして取り上げられ、イエスはマルタの願いに真正面から向き合い、かくしてラザロが復活させられたというのです。この信頼関係こそ「信仰」の本質であると、私は受け取りたいのです。
今日の新約聖書の言葉とセットとなったのは、旧約聖書詩編27編の言葉でした。「勇ましくあれ」「心を強くせよ」という言葉が、私たちに重荷を課すように聞こえるかもしれません。勇ましくなれない、強くなれない。これが私たち人間の偽らざる現実だからです。
しかし、この言葉は究極的には神の勇ましさであり強さを表している言葉に他なりません。これらが私たちの弱さを包みこむ神の信頼なのだと。この信頼に応える私たちの信頼こそが「主を待ち望む」という私たちの告白であり、具体的な行動へと導くのだと私は受け入れたい。これが今日の聖句に対する私の思いです。
神の信頼に応える私たちの信頼によって、神と私たち、また私たち同士の揺るぎない関係性がつくりあげられる。このことを希望の柱として、今日も神の勇ましさ、強さによって健全に歩むことができますように。皆さん、そして私自身の主にある平安と祝福を、心からお祈りします。