くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
箴言5章21節
人の道は主の目の正面にある。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一4章5節
ですから、主が来られるまでは、何事についても先走って裁いてはいけません。主は、闇に隠れた事を明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今朝は特別な朝を迎えました。阪神・淡路大震災から今日で30年。5時46分に合わせて黙祷のときをささげました。あのとき、私は高校卒業を間近に控えていました。当時福島に住んでいた私にとって、このニュースは朝の報道で知ることとなります。地震の様子が次々と映し出されるなかで、何もできない自分自身というものを18歳ながら痛感したことを思い出しました。今そのことを思うと、これからも日本で起こり得る震災を通して、どのようなことを私たちの神は示し、教えようとしているのだろうか。そんなことをも思わされます。
私は、人々の信心が受け継いでいるように、そのような自然災害やそれがきっかけで引き起こされるいわゆる人災というものが、神の断罪の結果であるというアプローチをどうしても受け入れることができません。もちろん、聖書にはそのようにも解釈できる箇所はいくらでも見い出すことはできるでしょう。しかし、それでも私たちは神の怒りの結果として、そのような災害を引き合いに出す前に、私たちがそのような非日常な出来事が自分自身を襲ったときに、どのような態度をもって生きることができるのだろうかということにぜひとも心を寄せたいし、そのような自分の姿というものを確認していきたいと思うのです。
そういう意味では、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、私たちの人生の道程を開き、導いてくださる神が、何を私たちに示そうとされておられるのかについて、深い黙想を得ることのできる言葉であると私は受け止めました。私たちの正面に神が人生を提示してくださるというのが、今日の旧約聖書・箴言に示された言葉です。歩む道さえ阻まれたと感じる時にこそ、神が私たちの見えない将来にわたって歩むべき道を示してくださるのだというのです。断罪によって何かが絶たれたともし感じるのであれば、そういう時こそ私たちの神は私たちの人生のために働いてくださるのではないか。そう思えてならないのです。
今日の新約聖書の言葉は、私たちが早計に「裁いてはならない」という言葉が示されています。ここで言う裁くとは、断罪するという意味というよりも、物事を判断するという意味として私は受け止めました。つまり、目の前のできごとで一喜一憂して結論を急ぐあまり早合点するのではなく、目の前に神がおられるゆえにじっくりと構えることのできる態度というものを神に養っていただきたい。だからこそ、今日も聖書の言葉に聴いてそれを確認することができた朝に、心から感謝するばかりでした。
今日の一日もまた、阪神・淡路大震災のできごとを通して想いを深めることのできるときでありますように。平安を心からお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿