02/11/2025

2025.11.2(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書2章15節
多くの国民が主に連なり
私の民となる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録21章3節
神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。

本当に久しぶりに黙想をつづり、それをお届けし、神の御言葉の恵みを分かち合うことができる幸いを噛みしめつつ、神と皆さんに心から感謝いたします。
 
そして、今日は週のはじめの日。世界中で行われる主の日の礼拝が、大いに祝されたものでありますように祈ります。私たちの教会では、本日の礼拝は「永眠者記念礼拝」として、礼拝の時を過ごす予定です。
 
そんななかで、今日の新約聖書の言葉に選ばれたのは「ヨハネの黙示録」の終盤部分にある一節でした。神の国が「新しい天と新しい地」として訪れる際に、私たちの世界に何が実現されるのかについて描いています。
 
ひと言でいえば、私たちの主である神が「私たちとともにいてくださることで、本当に私たちの神となってくださる」ということの実現です。つまり、神が天地創造の時に意図された目的が完全に成し遂げられることを、この聖句は如実に物語っているのです。
 
「主」という神の名前には「私はある」という意味があることは、大昔に神がモーセをはじめとするイスラエルの民たちに告げたとおりでした。「私は神であり、私はあなたがたとともにいることで、私はあなたがたの神となる」。全存在を示すその名前の意味こそ、神が神であることの紛れもない存在意義だったのです。
 
その目的がいよいよ回復される。反抗者の挑戦、神との関係性を問われる人間の試行錯誤の歴史に終止符が打たれようとしている言葉が、まさに今日の聖書の言葉として、私たちひとりひとりに与えられているのです。
 
神は私たちに向かって、その両手を差し伸べてくださり、私たちに歩み寄られました。この時だけではありません。ずっとずっとです。大切なのは、私たちがそのことに気付いて、伸ばされた手に自らの手を置くべく、私たちが生きようとしているだろうか。という問いに、どれだけ真摯に私たちが向き合い続けているだろうか、ということにあるのだと私は受け止めたいのです。
 
神の伸ばされた手に自分自身の手を合わせて生きるというのは、まさに「神の価値観を自分の生き方とする」ことに他なりません。それは、否が応にもといった、私たちの意思が無視されてもそのようにしなければならないということでは決してありません。あくまで私たち個々人に与えられた判断と決断は、何ら妨げられることはないのです。
 
だからこそ、私たちが「本当にそうしたいのか?」と問われるのです。神が手を差し伸べられるその腕には、神が私たちひとりひとりの命を守るべく広げられた心がある。それこそ「神の示された愛」に他なりません。私たちを慈しまれる神の御心を、私たちはいつでも知る機会が与えられているし、それを理解し、自分自身のものとし、生きる大きな柱とすることができるのです。
 
ですから、「本当にそうしたいのか?」ということに十分に自分の答えをもって歩むことができるように、今日も神の御言葉に耳と心を傾けることが大いに許されています。神が与えてくださったごちそうを頂くように、それを心から味わいたい。今日の聖書の言葉を通して、私が受け止めたいと思ったことです。
 
皆さんにとっての一日が、神とともにある幸いに包まれますように。心からお祈りします。

01/11/2025

ローズンゲン黙想再開のお知らせ


皆さん、大変ご無沙汰しております。いつもローズンゲン黙想をご愛読くださり、まことにありがとうございます。

さて、しばらくの間黙想をお休みしておりましたが、明日より再開することにいたしました。

すでにご存知の方もおられるかと存じますが、私事、10月に両目の硝子体除去手術および白内障手術をおこないました。手術は医師の当初の予想以上にうまくいき、両眼ともはっきりくっきりと見えるようになりました。

これまでは、聖書の文字はもとより、ローズンゲンの文字や、パソコンの文字まで見ることのできない日々が続いておりましたので、大変不便と不安を抱きながら、この2年近いあいだを過ごしてまいりましたが、まさに「世界が変わった」がごとく、見るものすべてが新鮮に映るようになりました。イエスによって癒された盲人が、嬉しさのあまり躍り上がる気持ちも、今ならば理解できます。

ということで、これまで私のために祈り、支えてくださいました皆さまに心から感謝しつつ、今後とも神の御言葉を通じて、良きお交わりができることを楽しみにしております。どうぞ今後とも主にあってよろしくお願い申し上げます。

齋藤 篤