くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編90編14節
朝には、あなたの慈しみに満たされ
すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一1章5節
私のこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を目標としています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。日々寒さの募るなかにあって、今日も神によって健康が支えられますように。たとえ肉体が、心が弱っていたとしても、神がともにいてくださることを希望とすることができますように!
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「未来を指し示される神の幸い」というものでした。そのことについてつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、使徒パウロが愛する若い同労者であるテモテに宛てて書いた手紙の一節です。そのなかで「私のこの命令は」と記されています。この命令とは何でしょうか。
今日の聖句の前、3~4節にはこのように記されています。
私がマケドニアに行くときに頼んでおいたとおり、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に、異なる教えを説いたり、 作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないように命じなさい。そのようなことは、無意味な詮索を引き起こすだけで、信仰による神の計画を実現させるものではありません。
エフェソというのは、今でいう「スピリチュアルな街」であったと言っても良いかもしれません。この町を守る女神アルテミス信仰をはじめとして、魔術、占星術といった、何か強力なものに心惹かれ、そこに自分たちの思いを託そうとする動きというものが街中に広がっていたと言われています。
そのようななかで、パウロはテモテに対して、そのような一見魅力的と呼べるような「未来を指し示すための何か」に引き寄せられるよりも、はるかに力強い御手で私たちを導いてくださる神がともにいてくださる。救い主であるイエスこそ、私たちの心の支えなのだということを知らせたほうが、その人にとっての幸いとなるのだよということを伝えたのでした。
私たちの未来をすべてご存知である神は、私たちがどのように歩むべきかを、それが私たちの意思とはことなるものであったとしても、神が私にとってベストな道というものを準備してくださっているということを、さまざまな形を通して教え諭してくださるのだ。そのことを今日も聖書の言葉と聖霊の助けを通して、私たちに与えられていることを、私たちは喜びつつ受け取りたいと私は思ったのです。
その思いは、今日の旧約聖書に示された詩編の一節に相通じるものです。今日も神の慈しみを心から感じる朝がやってまいりました。私たちの心には悲しさも寂しさもあることでしょう。しかし、神の慈愛は決して変わることなく私たちの心を守り、今日歩む一日へと導いてくださることを信じて、神が与えてくださる喜びを胸にして歩むことができるようにと祈りつつ過ごしてまいりたいと願います。
皆さんの一日に、そのような神である主がともにいてくださることを感じ取る者となることができますように。お祈りします。
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