03/11/2025

2025.11.3(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ヨブ記16章19節
今も天に私の証人がいる。
私のために証言してくれる方が高い所にいる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙4章14節
さて、私たちには、もろもろの天を通って来られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、信仰の告白をしっかり保とうではありませんか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。

世の中では3連休の最終日として、今日の一日を過ごされる方々も多いかと思います。皆さんにとって、どうぞ良き休息の一日となりますようお祈りします。私はある研修会で講演をするために、故郷である福島市へ出かけます。車で1時間ほどの道のりですが、今から大変楽しみです。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して私が受け止めたいと思ったのは、「神が分かっていてくださっているのだから」というものです。そのことについてつづってみたいと思います。
 
人に理解されないことがあります。どんなに誠意をつくしても、分かって欲しいと丁寧に説明をして理解を求めても、なかなかそうならないことがあります。そういうことが続くと、自分自身のなかで感じるのは「孤独」であり、「くやしさ」でもあり「悲しさ」でもある。そんな経験を誰もがしたことがあるのではないでしょうか?
 
私自身、数年前に起きて現在もなお続いている「ある出来事」を通して、そのような思いにさせられることがありました。その出来事について、断片的にインターネット、SNSなどを通して断片的に語られます。なかには、悪意をもってそれを拡散する人たちすらいる始末です。あらためて、インターネットが持つ「情報力」の怖さというものを痛感させられました。
 
そのような孤独感やくやしさ、苦しさというものを経験する一方で、私の思いに耳と心を傾けてくれる大勢の方々がおられたことも確かです。そういう存在にどれだけ慰められ、励まされてきたことでしょう。何も私のイエスマンを求めているわけでもない。ただ、それに同意できようができまいが、断片的な情報だけで判断をしないということを示してくれるだけで、本当にありがたい思いがしたのでした。
 
私は思うのです。眼に見える人たちがおられるという存在だけで、励まされたり慰められたりするのだから、ましてや私たちの神がそのような御方であったするならば、なおのこと心強いのだろうと。まさに、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、そのことの確証を私たちに与える言葉であると、私はアーメンと受け取りたいのです。
 
誰からも理解されなくても、隠れたところまで見ておられ、何が善であり悪であるかをすべてご存知である神がおられるのですから、決して私の人生を悪いようにはなさらないのだと。もちろん、そのような神の御前で、人に対してもただ誠実に生きることが大切なわけではありますが。。。
 
今日の新約聖書・ヘブライ人への手紙には「信仰の告白」をしっかり保とうではありませんかとありました。信仰の告白。そのような神が私とともにいてくださる。イエスが私とともにいてくださる。聖霊が私とともにいてくださる。三位一体の有機的な神の働きに包まれながら、生きていけるということを、私の心の支えとして生きること。まさに、それが「信仰の告白」に他ならないのです。
 
そのことが、今日生きる私たちの「希望」となることができますように。神に祈りつつ、神とともに歩んでまいりたいと思います。

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