09/11/2025

2025.11.9(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
申命記4章23節
あなたがたは気をつけて、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れず、あなたの神、主が禁じられたいかなる形の彫像も、自分のために造らないようにしなさい。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙1章20節
神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められるからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。

新しい一週間が訪れました。今日、世界中で行われる主の日の祝祭を通して、礼拝や集会、神を想うすべての人が、神の御姿というものを感じ取ることのできる素敵な時となりますように!
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が今日受け止めたいと思ったメッセージは「つくられたものを通して神を見る」というものでした。そのことについて書きつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉は、自らつくりあげた「偶像」を神とすることへの警告の言葉でした。偶像とは英語で「アイドル」と言います。日本でアイドルという言葉を今でも使っているかどうかは私もよくわからないのですが、いわゆる「推し」という言葉で今は表現されているのかもしれません。いずれにしても偶像という言葉には「自分好みの」という意味が込められていると私は受け止めています。
 
つまり、あらゆる物事に対して、私たちはもちろん「好き嫌い」というものがあるわけですが、そんな時に「神はこの物事に対してどのように思われているか」という視点を、私たちは知らず知らずの間に自分の思いのなかから排除してしまうことがあるのではないか、私はそんなことを感じました。神の思いを問い尋ねることよりも、自分自身の欲求を優先して物事をとらえてしまうのです。
 
こうして自分好みのものだけを優先してしまうと、もう他のものがどうなってしまおうと、私には知ったことではないという態度を明らかにしてしまうのです。そうなってしまうと、そこにはもはや平和などは存在しなくなってしまいます。どちらか一方が自分だけの好みを追求すればそのことによって犠牲が生じますし、互いの自己利益が募れば衝突して争いになってしまう。良いことなど何ひとつないのです。
 
だからこそ、物事を通して神を見つめるということの大切さというものを、今日の聖句は教えているような気がしてなりません。私が見ているこの出来事を、神はどのようにご覧になられているのかという視点は、自分自身を客観化するうえでとても大切な作業であると私は思います。自分自身を客観化したときに、神が私たちの主体に立っていくのです。神の思い(神の御心とか神の価値観と言い換えることもできるでしょう)が私たちの真ん中に立った時に、そこには必ず平和が生み出されていくのだと、私は強く信じたいし、そのことを胸に、神にある平和的な営みというものをもって、今日も歩んでいきたい。そう願わされました。
 
神がもたらしてくださる永遠の祝福に向かう私たちが、神を見つめつつ、今日も与えられた命を喜ぶことができますように。お祈りします。

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