くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編85編10~11節
救いは主を畏れる者に近く
栄光は私たちの地に住む。
慈しみとまことは出会い
義と平和が口づけする。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章9節
光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にある。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
******
おはようございます。
この前月曜日が来たと思ったら、あっという間に金曜日を迎えてしまいました。時が容赦なく過ぎ去ってしまうことにあらためて驚かされるばかりですが、そのような一時一瞬を大切にしながら、今日も神とともに歩んで生きたいと願わされました。聖書の言葉に聴いて、一日の土台としたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは、「神こそすべてを治めるのにふさわしい御方である」というテーマであると私は受け止めました。そのなかでも、特に詩編85編の「慈しみとまことは出会い/義と平和が口づけする」という言葉に注目したいと思いました。
そもそも、慈しみ(慈愛)とまこと(真実)は、どちらも神の抱く特質として知られている言葉ですし、それは義(正義)と平和(平安)も同様です。ですから、「出会い」とか「口づけする」という言葉があることに、少々?と思ったのです。あえて、出会うこと、口づけすると詩人が歌ったのは、どうしてなのだろうかということを考えたからです。
愛は真実を生む。私たちの人間社会でも、そのような愛やいつくしみというものを簡単に見つけることができるのだろうか。私はそう考えたのです。この世の中のすべての正義というものが、平和を私たちの世界にもたらすだろうか。そう感じたのです。
愛にもいろいろな形があります。しかし、ゆがんだ愛は人に真実をもたらすどころか、独り善がりな愛が他者を傷つけるなどということは日常茶飯事の出来事なのです。正義についても同じことが言えます。自分だけが正しいという人間の横行が、どれだけ人を苦しめ続けるだろうかということは、いくらでも存在しているということを、私たちはよく知っています。
だからこそ、私たちは、そのような慈愛や真実、正義や平和というものの「源泉」をしっかりと確かめていく必要があります。その源泉こそ、わが神なのです。その神をおそれ敬うこと、その神が放たれる光のひとすじに従って、神が備えてくださった道を歩むこと。これが、今日のふたつの聖句が指し示すことであると、私は受け止めることにしました。
少しでも神の愛とまこと、正義と平安のために生きることができるよう、神の助けを十分にいただきつつ、歩む者となることができますように。皆さんの一日に、神である主が親しく臨んでくださいますように。お祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿