14/10/2026

2026.10.14(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編97編11節
光は正しき人に
喜びは心のまっすぐな者に蒔かれる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書14章13~14節
宴会を催すときには、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。今日も皆さんにいのちを与えられた神が、私たちに大切なことを伝え、教え、導いてくださいますように。そのことを心から願いつつ、ローズンゲンに示されたみ言葉に、耳と心を傾けてまいりたいと思います。
 
喜びは心のまっすぐな者に蒔かれる。
 
今日の旧約聖書の言葉である、詩編97編の一節が選ばれています。詩編97編は「喜びの賛美」とも言える箇所ですが、私たちにとって、喜びの源泉はどこにあるのだろうかという問いに対して、この聖書の言葉は大切なことを私たちに伝えているといえます。
 
喜びが私たちの心に種が蒔かれるように与えられるというのです。しかし、その喜びが「種」であるというところに、私は注目したいと思ったのです。種が芽生え、発育し、実りをもたらあすためには、種本体ではどうしようもありません。適切な土壌があり、温度や光が注がれ、水分が時宜に適ったかたちで与えられることで、種ははじめて成長するということを、私たちは誰もが知っていると思うのです。
 
そのことを知ってか、詩人は「心のまっすぐな者」という言葉をつけて、喜びが喜びとして私たちが受け取る者とさせられることについて歌っています。私たちの心という土壌が、いかに種の成長につながるようなものとさせられているかということを、私たちは自分自身に問いたいのです。時には、私たちは土壌不良を起こすこともあるでしょう。そんなのはしょっちゅうかもしれません。しかし、「こうなりたい」という私たちのあこがれを、神は必ずご自分の助けをもって、そのようにしてくださるのです。だから喜べるのだと私は信じたいのです。
 
決して立派な者でない、強くもない、弱音ばかり吐いては、自らの情けなさに悔いるとき、それでも、神がともにいてくださるというこの確信とあこがれこそが大切なのだと。そんな土壌に、喜びの種を蒔いてくださる神がおられるのだ。そんなことを心の糧にして、今日の一日を歩んでまいりたいと願わされました。
 
どうか、今日一日の皆さんの歩みが、私自身も含めて、主の喜びに生きることができる者となることができますように。心からお祈りします。

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