14/09/2026

2026.9.14(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
エレミヤ書31章31節
その日が来るー主の仰せ。
私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録2章39節
(ペトロの言葉)
この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださっている者なら誰にでも、与えられているのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
昨日は、主の日の礼拝の喜びを、それぞれの教会や集会で楽しまれたことと思います。私も、午前は代務牧師を務めている教会での働きのあとに、夜は私の勤務先であるエマオの夕礼拝、そして自宅に戻ったときには、ちょうど宮城野教会の祝福(祝祷)に間に合いました。その後、礼拝に出席された方のために祈りのときを持ったりと、とても充実したひと時を過ごすことができました。また、新しい一週間も感謝しつつ毎日を過ごすことができそうです。
 
さて、今日のローズンゲンに示された聖句が言わんとしているのは、「新しい契約に生きる」ということであると私は受け止めました。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
昨日の「エマオ夕礼拝」を担当されたのは、仙台市内にある「荒井キリスト教会」の牧師である、福岡真一先生でした。赴任時期が一緒なのと、その他のつながりもあり、良いお交わりをいただいています。その福岡先生によって取り次がれたのは、マタイ福音書の最後の部分、いわゆる「大宣教命令」と呼ばれる部分の聖句でした。
 
大宣教命令をどのように考えるのか。その後、聖霊降臨の恵みを受けた弟子たちは、方々へキリストの救いを宣べ伝えました。なかには、パウロのように旅行しながら宣教する者もいましたし、まさに地の果てまでキリストが伝えられることによって、私の住む日本にも福音が伝えられたわけです。
 
福岡先生は、それらの宣教活動は「海外宣教ではなく『世界宣教』なのだ」とおっしゃっておられました。とても興味深い言葉です。一見すると同じような言葉にも思えますが、福岡先生曰く、世界宣教とは洋の東西、遠近の問題ではなく、身近にいる誰にでもキリストの救いが伝えられること。距離こそ近くても、精神的には遠く離れている人にでも救いを伝え、分かち合うこと。それこそ「世界宣教」なのだということを、説明しておられました。その言葉に納得し、腑に落ちました。
 
つまり、今日の新約聖書の言葉は、これから世界宣教がなされようとするなかにあって、その宣教は「誰に対するものなのか」という問いに、明確に応えているものであると私は思いました。「私たちの神である主が招いてくださっている者なら誰にでも、与えられているのです。」と、ペトロは説教しました。誰にでもなのです。私たちがえり好みできるような話ではないということなのです。それだけ、私たちの神は救いの門戸というものを存分に広げる契約というものを、私たちに与えてくださったということなのです。
 
今日の旧約聖書の言葉には「新しい契約」とあります。契約は更新されていきます。しかし、破棄されることもあります。私たちの神は、人間に対して契約を破棄して、その関係性を反故にされることなく、今日まで救いの道を与え続けてくださったことを思います。そんな神のなさることに心から感謝しつつ、今日という一日も過ごしてまいりたいと思いました。
 
どうか皆さんの一日にも、そのような神の守りが豊かにありますように。心からお祈りします。

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