くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
出エジプト記14章14節
主があなたがたのたえに戦われる。あなたがたは静かにしていなさい。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書13章13節
(イエスの言葉)
連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も、私たちの一日の生活を導かれる神が、その言葉を通して、私たちを祝福のうちに導いてくださいますように。そのことを祈りつつ、ローズンゲンに示された聖書の言葉に、耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日の聖書の言葉はまさに、私自身に語りかけているものであると、私は深く感謝しました。「主が戦われる。だから、あなたは静かにしていなさい」という言葉は、私自身に、神とともにあるということに誠実に向き合う思いというものを、新たにしてくださったと心から信じるものです。
詳しいことをここで述べることは控えますが、私自身、この数年間にわたって、あることで自分自身のあり方というものを、深く問わされる日々が続きました。時に悩み、苦しみ、そのことに自分自身が開き直ることを戒めつつ、ただ謙遜の思いをもって、神のなさることに期待して、自分に与えられた務めというものを、淡々かつ忠実に果たそうとしてまいりました。私を取り巻く環境の不条理さに、自分自身悔やみつつ、自分ではどうすることもできない出来事に、どのように向き合って良いのか随分苦悩を感じ続けてきました。
しかし、今思うことは、「神はご自分の公正さをもって、この世界に判断をくだされる」ということです。どんなに世の中が騒いでも、そのことで心傷つくことがあったとしても、神は私に気付きを与え、言葉にならないうめきというものをも必ず聞いてくださり、神の御心があらゆるところに明らかにされる日が必ず来ることを信じ続けてまいりました。
その結果がどのようなものになるのか、私にはまだわかりません。しかし、私に求められることは、変に自分自身を荒立てることなく、そのことで他者を振り回すことなく、神の御前にただ立って、神のなされることに心をしずめてただ待ちつつ、自分に与えられた分を誠実に生きることなのだと。それが、今日の旧約聖書の言葉の意味なのだと受け止めました。
かつて、私が牧会していたある教会員の方に、この聖句を示したことがありました。その方も、ずいぶん不条理な目にあって苦しんでおられました。どうして良いかわからないと生きた心地がしなかったということでした。私は、主にあって誠実に生きるならば、必ず主は戦ってくださるから大丈夫と、聖句の意味を分かち合い、ともに祈ったことがありました。その結果、その不条理さはいつの間にかに消え去っていました。最近、そのことを振り返る機会があり、当時苦しみを抱えていた方とともに喜び、神に感謝したのでした。
私たちは聖霊の導かれるがままに、誠実に生きることが求められているのだと思います。しかし、その聖霊の導きというものも、ついつい我田引水のように利用してしまうこともあるかもしれません。それが自らの「ゆがみ」によるものだとも気づかずにです。だからこそ、神の御前に謙遜に生きることを確かめるために、神の言葉が私たちに与えられ、聖霊の助けが与えられているのでしょう。
今日も聖書の言葉が与えられたことに感謝しつつ、一日を過ごすことができますように。皆さんとともに生きてくださる神が、大きな祝福を注いでくださいますように。心からお祈りします。
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