くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編9編10節
主は虐げられた人の砦
苦難の時の砦。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙1章27節
みなしごや、やもめの苦労を見舞うこと、それが純粋で汚れのない父なる神への礼拝です。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。神が、この七日間の旅路をどのように導いてくださるのでしょうか。特に、心に、実際に生活のあらゆることで重荷を担わされている方々にとって、神がどのように私たちの生活に働いてくださるのか、そんなことを思い描きながら、今日もローズンゲンを通して与えられたみ言葉に、耳と心を傾けてまいりたいと思います。
神は私たちの砦(安全)となってくださる。このことが、今日の旧約聖書・詩編の一節が言わんとしているメッセージです。私たちが苦しさを覚えるとき、その苦しさをすべてご存知である神が、私たちを全力で守ってくださるというのです。この力強い保証の言葉に、私たちはどれほど共感し、また同意することができるでしょうか。
昨晩、仙台のある教会で本日の務めを果たされる、大嶋重徳牧師とお連れ合いの裕香さんと久々にお会いして、とても楽しい交わりの時をいただきました。私の苦しかった時代をよくご存知のふたりであり、思い出話もすることができました。その時に「いろいろ苦しかったこともあったけれど、今は恵みでしかない」ということを、お互いに近況を交わしながら、神が守ってくださっていることを、ともに喜び合うことができて、感謝でした。
こういうものなのだと私は、今日の聖句に触れながらあらためて感じさせられたのです。苦しさで心も思いも体もいっぱいいっぱいなときは、なかなか神の恵みを感じることができないかもしれません。しかし、いつかは神とともにある恵みというものを実感できるときがやってくる。そんなことに感謝できる日がやって来ることを思えば、今日の詩編の言葉はやっぱり真実なのだと思わされてならないのです。
その得られた恵みというものを、私たちは決して強いることなく、押し付けることもなく、隣人とともに分かち合うことができるのだというのが、今日の新約聖書の言葉にも表れているような気がするのです。私たちが今日、世界中でおこなわれる主の日の礼拝で出会うさまざまな出来事や人間模様のなかで、互いに神の恵みを分かち合えるような一日であり、また一週間の始まりでありたいと、心から願わされてなりません。そんなことを胸にして、新しい一週間を歩むことができますようにと祈ります。
皆さんの新しい一日、一週間の一切に、私たちを安全に守られる神の恵みが、ともに、豊かにありますように。心からお祈りします。
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