09/10/2026

2026.10.9(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書50章9節
見よ、主なる神が私を助けてくださる。誰が私を罪に定められよう。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章34節
死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右におられ、私たちのために執り成してくださるのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日も秋晴れの素敵な朝を迎えた仙台です。この秋晴れのような一日を過ごしたいと心から願いつつ、ローズンゲンに示されたふたつの聖書の言葉から、黙想をつづりたいと思います。
 
今日の聖書の言葉を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「神は私たちを『救う』ことを第一に考えておられる方である」ということです。神がありったけの愛情をこめて、私たちを創造された以上、その私たちが路頭に迷ったならば、全身全霊をかけて、私たちをその迷いから救うために生きて働いてくださる方である、ということを信じたいのです。
 
そのような神の思いを、今日の旧約・新約聖書は私たちに語りかけています。今日の旧約聖書の言葉は、イザヤ書からの一節でした。神をないがしろにしたその代償を、神の民たちは自業自得の結果として受け入れなければなりませんでした。しかし、そんなみじめな民たちの姿を、神は見守り続けていたのです。
 
神は、自覚のない私たちに対して、安易に「助け舟」を出されるような御方ではありません。あくまで私たちの「判断と決断」を見守る御方なのです。私たちのそのような選択が、神の目から見てふさわしいかそうでないかは、私たちがその結果を経験することによって明らかにされていくことを、私たちは受け入れることが大切なのです。
 
そして、私たちがそのことを受け入れたときに、それと同時、いや、それ以上に、神が救いのみ手を差し伸べてくださっていたことに、私たちは気付かされる時が必ずやってくるのです。そのために、私たちに神の言葉が与えられ、聖霊の助けが与えられ、神が決して私たちを見捨ててはいなかったことを、再び認識することができるというのです。
 
「だれが罪に定められよう」と、神は私たちに語りかけてくださいます。罪というのは神との関係性の隔絶を意味しますから、神とつながるということはそれすなわち、罪である状態からは解放されている、つまり「助けられている」ということなのです。今日のイザヤ書の聖句は、そのことを如実に物語っているのです。
 
それが、今や、私たちのために神との仲介者として立ってくださった、キリスト(救い主)であるイエスが、神とともに、私たちのために働いてくださっているというのです。今日の新約聖書の言葉にある通りです。取り成す(仲裁する・とりもつ)務めを果たす使者として、神はもっとも愛する独り子を、私たちのために与えてくださいました。そのイエスが、今日も私たちとともに歩んでくださいます。
 
どうか、今日の私たちの歩みが、そんな神の思いを豊かに受けるものとなりますように。心からお祈りします。どうぞ主にあって素敵な一日をお過ごしください。

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