08/10/2026

2026.10.8(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ハバクク書2章3節
この幻は、なお、定めの時のため
終わりの時について告げるもので
人を欺くことはない。
たとえ、遅くなっても待ち望め。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙5章7節
見なさい、農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

******
 
皆さん、おはようございます。
秋晴れの日が続いていますが、まだ先の災害の爪痕ゆえに苦痛を覚えておられる方々がおられることを思うと、手放しで喜ぶことのできない自分自身があります。どうぞ、少しでもそのような苦痛から解放されることを祈りつつ、今日のローズンゲンに示された聖句から黙想を得たいと思います。
 
今日のふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「じっくりと待つことの幸い」というものでした。すぐに結果を求めたがる私たち、そのために、性急な言動であらぬ方向に物事が進んだりと、私たちは「待つことのできない」存在であるということを、生活の端々で感じるかもしれません。もっとも、私がその最たる者であるという自覚があるわけですが。。。
 
今日の新約聖書の言葉は、ヤコブの手紙の一節です。私は、この聖句にある「秋の雨、春の雨」という言葉に目が留まりました。この手紙が書かれた中東地域は、春分から秋分にかけての約半年間、雨がほとんど降らない季節を迎えます。ですから、農夫にとって、秋に降る雨は、長い乾季を経て地をうるおすために、無くてはならない再生の恵みであり、春に降る雨は、乾季に備えて作物が充分に実るよう、無くてはならない成長の恵みとなるのです。
 
ですから、農夫にとって秋の雨と春の雨が訪れるのを、ただじっくりと待ちながら、作物の植え付けから収穫までの働きを、そのタイミングごとに丁寧におこなっていたことがわかります。大地の尊い実りを待つことの幸いを、この聖句は豊かに物語っていると私は思いました。
 
さて、私たちにとっての「実り」とは何でしょうか。いろいろな物事にたとえることができると思います。私たちの営みの結実を「実り」と言えると思いますが、しかし、その営みはさまざまな障壁にぶち当たりながら、その壁をどうやって乗り越えるかということに、心を悩ませ、苦しみ、時に痛みながら、向き合う私たちの姿というものがあります。
 
そんなときに、私たちは天からの恵みがくることを、じっくりと待つことができるのだ。神が、私たちの想像を超えるベストなタイミングをもって、私たちひとりひとりに臨んでくださるのだという希望が、私たちの心にあふれるのを大いに許されるのです。
 
それが「春の雨であり秋の雨」なのだと。私たちの心をうるおし、耕し、成長させるために無くてはならない雨が、今日も私たちに御言葉と聖霊の助けをもって注がれます。この水の恵みを、じっくりと受け取りたい。たとえ、自分の思うようにそれがなせなくても、必ず神は私たちをうるおしてくださいます。そのことを信じて、今日の営みを大切にしてまいりたいと思います。
 
どうぞ皆さんの一切に、神が恵みを豊かにもたらしてくださいますように。心からお祈りします。

0 件のコメント:

コメントを投稿