04/10/2026

2026.10.11(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
士師記8章23節
(ギデオンの言葉)
私はあなたがたを支配しない。主があなたがたを支配される。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書15章11節
トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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おはようございます。
新しい一週間が始まりました。今日はその最初の機会として、世界中で主の日の礼拝がおこなわれます。この祝祭が、神の喜びを存分にいただくことのできる機会となりますように。神が私たちに親しく臨んでくださっていることが、私たちの一週間を生きる土台となり、柱となり、慰めと励ましとなりますように。そのことを心から願いつつ、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句から黙想をつづりたいと思います。
 
今日のローズンゲンを通して、ふたつの聖句に共通するテーマは「私たちを支配されるのは神御自身である」ということを受け止めたいと思いました。その支配者は、決して私たち人間の側にはない、ということをあらためて想わされます。
 
支配という言葉をめぐっては、私自身、とても大切なものとしてとらえ続けてまいりました。それは、いわゆる「カルト宗教」の元信者であったという経験と、その後、カルト宗教対策に曲がりなりにも携わってきた者として、カルトが抱える根底にあるものが「ゆがんだ支配構造」であるということを、提唱し続けているからです。
 
支配とは本来、公正に、そして公平に分配されるべきものが分配されることを意味する言葉です。しかし、この「公正に、そして公平に」ということを、私たち人間が健全に行使できないという現実があるからこそ、神によって私たちひとりひとりに与えられているはずの尊厳というものの奪い合いが生じ、その加害と被害が生じていく。これが「ゆがんだ支配」となっていくのだと、私は強く思わされるのです。
 
今日の旧約聖書の言葉にもありますように、出エジプト時代におけるイスラエルの指導者であったモーセの死後、長い流浪の旅が終わって定住を実現したイスラエルの民におけるさまざまな問題や課題に対して、士師(裁き人)と呼ばれる指導者が指導的な役割を果たしました。そのひとりが、今日の旧約聖書の言葉の発言者である「ギデオン」なのです。
 
そのギデオンが、「支配とは何か?」ということを問いかけるように、私たちに訴えています。つまり、支配するのは私ではない、神が支配されるのだという、最低限私たちが保持するべき原則というものを、私たちに提示されるのです。私たちに求められるのは、神がどのような支配を私たちにされているのかということを、私たちがじっくりと、そして真摯に受け入れることで、私たちが神のなされるご支配に基づいた生き方をすることができるというのです。
 
そのような生き方を受け入れたのが、復活の主に出会うことの出来た、使徒トマスの告白の言葉に表れています。彼はそれまで、復活された主イエスを受け入れることができませんでした。それだけ、自分の抱いている「こだわり」から解放されることがありませんでした。しかし、そんなトマスの心に和らぎを与えたのは、主イエスがすべての人に復活の喜びを実際に与えられている、つまりきわめて健全なご支配を与えておられるということを、トマスが受け入れることができたからでした。
 
私たちが決して、自分たちのこだわりや自己実現の願望によって、ゆがんだ支配をふりかざすことのないように、ただ、神のなされることに希望と信頼を寄せ続けることで生じる幸いというものを胸にして、新しい七日間の旅路を歩む者でありたい。そんなことを黙想としてつづりたいと思いました。
 
どうか、今日も私たちとともに命の一日を歩んでくださる神が、大切なことを私たちに教え諭してくださいますように。主にある守りと平安を、心からお祈りします。

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