24/10/2026

2026.10.24(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書52章10節
主はその聖なる腕を
すべての国民の目の前にあらわにされた。
地の果てのすべての者が、
私たちの神の救いを見る。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙2章19節
あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

******
 
おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この七日間の旅路を振り返る時として、今日の一日が充実したものとなりますように。そのことを祈りつつ、ローズンゲンによって示されたふたつの聖句から黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約・新約聖書の両方に見い出すことのできる言葉は「聖」でした。神の聖なるみ腕が私たちを救うのだと、預言者イザヤはご自分の民たちに告げられました。そもそも「聖」という言葉は、旧約聖書の原語であるヘブライ語では「カードーシュ」という言葉が用いられています。その意味とは、本来「切り離された」というものです。他のあらゆるものに支配され、左右されることなく、神の唯一無二の働きが、私たち人間に豊かに及ぶのだということを、聖なるみ腕という言葉をもって私たちに知らせているのです。
 
私たちは日々、さまざまな出来事や物事に振り回されて生きています。どんなに自分自身を整え、律して生きようとしても、それから完全に逃れることは不可能なのです。だから、それらに翻弄されることのなかで、少しでも確かなみ腕によって守られたいという願望というものが、私たちの守りとなり、慰めや励ましに結びついていくのでしょう。
 
その守りとなってくださるのが神の「聖」ゆえのことなのだということを、私たちは改めて感じ取り、受け取る者でありたいと願うのです。このことを、後に「神の家族」という言葉で表現されました。神の力強いみ腕に守られる姿は、まさに一家の大黒柱的な存在を彷彿とさせます。皆で協力しながら、一家の長(おさ)によってしっかりと守られるイメージです。これこそ、神の「聖」によって成立するものなのだということを、私たちは是非胸に刻むことができればというのが、私が今日の黙想で受け取ったことでした。
 
どうか、そのようなみ腕に守られながら、聖なるという言葉を携えて、今日の一日を歩むことができますように。皆さんの歩みを、そして私の歩みをも、心からお祈りします。

0 件のコメント:

コメントを投稿