くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
サムエル記上3章9節
主よ、お話しください。僕は聞いております。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書7章24節
(イエスの言葉)
私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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おはようございます。
仙台の街は、秋晴れの朝を迎えました。雨続きの日々でしたから、さわやかな一日の始まりを迎えることができるのは、本当に気持ちの良いものです。この秋空のように、気持ちを新たにして、今日与えられたローズンゲンによって示されたふたつの聖句から、黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書と新約聖書をつなぐ言葉は「御言葉に聴く生活」であると私は受け止めました。旧約聖書は、指導者サムエルが神に対して告白したみずからの信仰の言葉であり、新約聖書は、イエスによって語られた「山上の説教」の最終に語られた「岩の上と砂の上に建てた家」のたとえ話の一節です。
さて、私の働いている東北教区センター・エマオでは、毎月一度「静かに聖書に聴く夕べ」という集会が行われています。聖書の言葉を前に心をしずめて、御言葉が語るメッセージに耳と心を傾けるひと時です。その後で、参加者とともにその味わいを共有することで、聖書の言葉が与える恵みをいただきます。少人数の参加者ではありますが、とても素敵な時間をいただいています。私も久しぶりにこの集会へ出席しました。
それで、先日の集会で読まれたのが、マタイによる福音書7章の「岩の上/砂の上に建てた家のたとえ話」でした。よく聞いたことのある、なじみ深い聖書の言葉です。私は小学生のとき、まだ教会へも行っていなかったころ、キャンプソングでこの話を知りました。まさか聖書の言葉だったとはと知ったのは、ずっと後のことです。
だれもが納得するたとえ話ですが、それが聖書の言葉であり、私へ向けられた神の言葉であるとあらためて知った時には、「誰もが知っている話」という一般的な話題ではなく、家や土台とはいったい何だろうかということに、想いを寄せるようになりました。土台がしっかりしてこそ、家が家として保たれるというイエスの言葉はまさに、自分自身のありようというものを如実に映し出すものなのだということを、感じずにはいられません。
私の立ち位置というものが、神の言葉によって形成されるものなのだということに気付いたのです。そして、私の歩みを底辺からしっかりと支える、土台たるイエス・キリストがおられるのだということが、雨風が吹き荒れても、それに持ちこたえることのできる私という存在がつくられていくことに、ただただ感謝でしかありませんでした。そんなことを、先日の集会では、参加者の皆さんと分かち合って、ほっこりした気持ちで家路へ就くことができました。
歳若いサムエルも、神に向かって「主よ、お語りください」と、神の御声にじっくりと耳と心を傾けようとする思いが込められたこの聖句に、私たちの態度というものが問われているような気がしてなりません。しかし、その問いはあくまで、私たちを健やかな一日へと導く問いなのだということを胸に刻みつつ、新しい一日を歩んでいきたいと、思い新たにさせられました。
どうか、今日の一日もまた、そのような神の良いものに支えられながら、歩みを踏むことができますように。そして、皆さんの主にある、守りと平安が豊かにありますことを、心からお祈りします。
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