くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
マラキ書2章7節
祭司の唇は知識を守り
人々は彼の口から律法を求める。
彼こそ万軍の主の使者だからである。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二4章2節
御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。忍耐と教えを尽くして、とがめ、戒め、勧めなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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おはようございます。
昨日はそれぞれの持ち場で、週の第一日目をお過ごしになられたかと思います。私自身も朝・昼・晩と、3つの教会で礼拝のひと時を過ごすことができました。教会を通して出会ったすべての方々に心から感謝の思いを表しつつ、なによりもそれを導いてくださった主がおられたことを心から想うひと時となりました。感謝でなりません。
そんな感謝の思いを携えながら、週日の六日間を過ごしてまいりたいと思います。今日もローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、黙想をつづりたいと思います。
今日のふたつの聖句から、私が受け止めたいと思ったのは「与えらえれた口を用いて、どのように言葉をふさわしく用いることができるか」ということでした。与えられた務めや持ち場にふさわしい言葉を用いることは、神の素晴らしさであるとか愛を映す鏡のようなものであると私はあらためて受け止めることができました。
今日の旧約聖書の言葉は、旧約聖書の最終巻である「マラキ書」の一節からでした。本来、神に仕えることを務めとして与えられた祭司に求められることは、神が与えられた律法の本質に裏打ちされた言動をなすことでした。それは決して窮屈極まりないことではなく、神が私たちを豊かにするために、なくてはならないものでした。
しかし、のちに彼ら祭司たちは、その務めを窮屈に感じ、みずからの思いのままに振舞うことによって、自分自身の言葉でそれをないがしろにしてしまう結果を招きます。神の栄光を現す言動ではなく、自分自身の栄光を現すために、与えられた言葉を乱用してしまったのでした。
どうせ言葉を使うならば、誰もが平和になれるような言葉をつむぎたいのです。しかし、どうしてもこの世界に生じる「ゆがみが」そうさせてくれない。だからこそ、私たちのうちから生み出されるものではなく、与えられた美しさをもってそれを分かち合うことにおいてだったら、そのようなことを少しでも営めるのではないかと信じたいのです。
今日の新約聖書の言葉は、まさにそのことを如実に知らせるものなのではないかと思うのです。時が良くても悪くても、状況が決して順風満帆どころか逆風難破の状態にあったとしても、それでも与えられた良いものを分かち合いたいがゆえに、与えられた唇と舌をつかって言葉をつむぐ幸い。そんな思いをもって、新しい週日の日々を歩みたいと願いました。
皆さんの新しい日々にも、神の与えてくださる務めが豊かに働きますように。心からお祈りします。
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