くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ハガイ書2章9節
この場所に私は平和を与えるー万軍の主の仰せ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書11章17節
(イエスの言葉)
「こう書いてあるではないか。『私の家は、すべての民の 祈りの家と呼ばれる。』」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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おはようございます。
新しい一週間を迎えました。その先駆けとなる今日の礼拝が、どの場所においても、朝も夕も、そこに集まるすべての方々も、集まることの叶わない方々も、神によって安らぎと生きる力を得ることができますように。そのことを祈りつつ、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句から黙想を得たいと思います。
今日のふたつの聖句を通して、私が受け取ったテーマは「場所」でした。私たちがどういう立ち位置に身を置いているか、その場所に私たちは立とうとしているのだろうか。そんなことを想わされました。
あくまで私たちの神は、私たちひとりひとりを「神である主の平和」に立たせようと働いておられる方です。しかし、そうはならない現実があるとすれば、私たちは神をないがしろにしたところで、自分自身「だけ」が平和に立とうとしているからなのではないかと、自戒を込めて思わされるのです。だから、私たちは平和に立つことができないのです。私のなかにある「自我」が何よりもまさってしまった時に、私たちは「この場所」がどこなのかをも分からなくなってしまうのです。
だからこそ、私たちは場所をお与えになった神が、どこに立つことを望んでおられるのかということに、思いと心を寄せて、神の御声に耳と心を傾ける必要があるのでしょう。
イエスは言われました。「祈りの家」と呼ばれる場所に、私たちを招こうとしておられます。それはかたちばかりの「教会」でもなければ、形式ばかりの「礼拝」でもありません。本質的に、私たちを平和へと立たせようとしておられる神のご臨在を、心から感じることのできるような場に立たされているという私たちの自覚こそ、「今、私はここに立っているのだ」という、深い自覚へと導かれるのだと私は、今日のふたつの聖句を通して、それを素直に受け取る者でありたいと思わされました。
どうか、今日の一日が、私たちの立ち位置というものが少しでも明らかになることを心から祈ります。そして、その場にこそ、神の平和が豊かに宿ることを、心からお祈りします。
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