くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編141編8節
主よ、あなたに向かって目を上げます。
私はあなたを信じます。
私を死へと葬り去らないで下さい。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一15章55,57節
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前の棘はどこにあるのか。私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えてくださる神に、感謝しましょう。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
おととい昨日と、黙想をつづる時間を確保することができませんでした。楽しみにしてくださっている皆さんへ、深くお詫びいたします。その日ごとにローズンゲンに示された聖書の言葉に触れて、書きたいことはたくさんあったのですが、なかなかそれが叶いませんでした。
今日の旧約・新約聖書の言葉に共通するのは「死」という言葉でした。そのことをめぐって、今日は黙想をつづりたいと思います。
私はまだ、物理的な「死」を意識する年齢ではないかもしれないし、実際に死を意識するような機会は乏しいかもしれません。しかし、精神的に「死」を彷彿させるような出来事は多々遭遇していることを思わされます。精神的な死とは、「もうだめだ」と思ってしまう一瞬です。希望もなにも見い出すことができず、落ち込んでしまうという一瞬がいろいろあるということです。
今週はそのことを意識させるような出来事がいくつかありました。今週月曜・火曜と、かねてから準備をしていた、地域の「カルト問題研修会」に主催者側として、また参加者のひとりとして参加してまいりました。私もカルトサバイバーだったひとりとして、カルト宗教を通して今まで、精神的な死というものを経験してきましたので、死というものがなにも、物理的なものだけを指すわけではないということを、今回の研修を通して改めて気づかされました。
また、詳細を語ることはここでは控えますが、今週、私は今まで向き合い、取り組んできたことにひとつの区切を迎えることになります。数年間にわたってそのことに向き合わなければならないことは、痛みと苦しみの連続でした。まさに死を思い起こさせるような出来事とも言えたのは、決して大げさではありませんでしたが、その区切りを迎えるにあたって、とても緊張しているし、いろいろな感情が交錯しています。そんな時に、今日のような聖句が与えられたことを、心から感謝するばかりです。
私は、今日の聖句を通して、「神はすべてを御存知なうえで、公正をもって取り扱われる方なのだ」ということを改めて確信しました。そのことを信じる信仰というものが、今、私に問われているのだと思いますし、死に打ち勝って復活された救い主イエス・キリストがおられるという事実を、私は今、自分の心身に染み込ませて今日の聖句に触れることができました。それはなにも、自分のことを棚に上げて鬼に金棒的な考えをしているのではありません。そうではなく、あくまで公正に物事を取り扱われる神が、この私とともにいてくださるのだという恵みを胸に刻みつつ、今週の残りの時を過ごしていきたいと、気持ち新たにさせられたということでした。
私たちに大なり小なり襲い来る「死」という出来事に、うろたえることなく、おびえることなく、今日という一日を神とともに歩むことができますように。祈りつつ、過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日にも、そのような主が豊かに臨んでくださいますように。心からお祈りします。
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