くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編144編15節
幸いな者、主を神とする民は。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙10章12節
同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
暑い日が続きながらも、空が秋の空になってきた仙台の街です。こうして季節が移ろいゆくのを感じることができるのは、本当にありがたく、感謝なことだなとつくづく感じさせられる朝を迎えることができました。今日も、与えられた命を尊べるようなときでありますように。祈りつつ、ローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、神の御声を聞いてまいりたいと思います。
今日の旧新約聖書のことばに共通するテーマは「神を私たちの神とすることへの幸い」というふうに私は受け止めました。「神を神とする」とはどういうことなのでしょうか。神が単に置物のようなものではなく、困ったときの神頼みのようなものでもなく、私たちの生活につねに神が「ともにいてくださる」ことへの深い自覚と感謝を抱くことなのかもしれません。
もちろん、困ったときの神頼みが悪いわけでなければ、置物のようにつねに見える場所に神を鎮座しておくことそれ自体が悪いわけでもありません。しかし、願わくば、私たちの生活の中心に、神がしっかりと据えられていること、私たちの心に神が置かれているからこそ、ときどきではなく、いつも神が私たちの生活に関わってくださっていることに喜べる、幸いを感じ取ることができるのではないだろうか。そんな気持ちにさせられたいのです。
どんな時でも、私たちは神を知るだけのさまざまな「素材」が散りばめられています。その素材が必ずしも、良い状況だけを示すわけではありません。触りたくない、できれば避けて通りたいような素材も、私たちの生活のなかには多々あるのであって、それらが私の生活を否応なしに襲うときに、私たちは「何を中心にしたらよいのだろうか」と思い悩むこともあるでしょう。
だからこそ、好調な時も不調なときも、得意なときも失意にあるときも、私たちは神がすぐそばにおられるからこそ、神に頼り、委ね、教えを受けることがいつでもできるからこそ、どんなときでも泰然でいられるのだ。これが、今日の聖書の言葉で物語られている「幸い」なのだということを改めて受け取って、新しい一日を主とともに歩みたいと思わされたのでした。
そんな一日が、今日も私たちの生活を充実したものとしてくださいますように。神にある幸いが、皆さんと豊かにありますことを、心からお祈りします。
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