くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編103編2節
私の魂よ、主をたたえよ。そのすべての計らいを忘れるな。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章20節
いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日でシルバーウィークも最終日を迎えます。今回の連休は、台風の襲来ということもあり、多くの被害があった数日間となりました。大切なものを失ってしまった方々のために、神の慰めを引き続き祈りたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が今日受け止めたいと思ったのは、「神に感謝する」というシンプル、しかし、私たちにとってとても重要なひと言でした。もはや自明のことではありますが、そのことについて黙想をつづりたいと思います。
私は考えてみました。感謝と対極にある「不平不満」ということについてです。私たちの生活において、私たちのうちから不平や不満をすべて取り除いた時を過ごすことなど、なかなか無いのではないかと思うのは私だけでしょうか。少なくとも私は、ことあるごとに不平や不満を抱えたり、思ったり感じたり、時にはその感情が表出することすらあります。
自分の思うとおりにはいかない感情というものは、神への感謝の思いというものを容赦なく削ぐ力というものがあると思います。感謝している暇などないのです。感謝できないのは、神が私自身に不平不満の思いを抱くことに、何の手立てをすることがないからだと、神にその責任をなすりつけてしまうこともあるかもしれません。他責思考をもって、「自分は何にも悪くないのだ」と私たちは思いたくなるのです。
そう。今日の詩編の言葉にもあるように、神である主のなされたことを「忘れるな」とうたっているように、私たちはいとも簡単に、神の存在があることそのものへの感謝を忘れてしまうのです。だからこそ、私たちは「忘れないような営み」というのが、本当に必要なのだと思います。そのことを思うときに、私たちは「主イエス・キリストの名によって」という、今日の新約聖書の言葉が指し示す思いこそ、大切なのだと思わされます。
イエス・キリストのお名前によってというのは、イエスが私たちのキリスト(命の救い主)となられるために、何を思い、何を感じ、私たちにどのように触れてくださり、言葉と行いを残されたかということを、私たちが聖書の言葉から丹念に聴きとることから始まります。聴き取った声を私たちの心身に巡らせるために、神に祈り、聖霊の助けを求めるのです。そのための時間と機会というものを、積極的に得ていくことで、私たちは「感謝」というものがどういうものか、少しでも考えるきっかけとなれば、こんなに良いことはないのだと思いました。
今日の連休最終日が、主にある多くの喜びに感謝できるような一日となりますように。心からお祈りします。
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