22/09/2026

2026.9.22(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
歴代誌上29章9節
こうして民は、自分たちが自ら進んで献げた物を喜んだ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録4章37節
キプロス島生まれのヨセフは、持っていた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足元に置いた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
台風一過の青空が広がる今日の仙台です。今回の台風では、犠牲者が出たこともニュースを通して知りました。自然災害の恐ろしさを改めて感じるとともに、このことで悲しみや不安を感じておられる皆さまに、神様の慰めと励ましがあることを、心からお祈りします。
 
今日のローズンゲンを通して与えられたふたつのみ言葉ですが、「自らを喜んで献げる」ということがテーマとして語られている聖句です。このような聖句を取り扱うときには、極めて注意が必要であると、私はつねづね思わされています。そのことに触れて、今日は黙想をつづりたいと思います。
 
自らを、そして自らのものを喜んでささげることは、何ら悪いことではありませんし、むしろ良いことなのだと私は思っています。私もそうでありたいと心から願いつつ、自分自身の生活のなかで、そのように実践できることは実践していきたいと思っているわけですが、「何者かにそのように誘導されて、自分自身を超える分までささげるべく強制される」ことがあってはいけないと、強く思わされますし、実際に、聖書の言葉を悪用して、そのように人々を誤導しているケースが後を絶たないということも、私たちは知っておくべきなのです。
 
旧統一協会による違法献金の実態は、まさにこの構図のなかで語られているものであると言って良いでしょう。それだけではありません。いわゆる「カルト化した教会」と呼ばれるところで、そのような実態が実際に起きていることの相談も受けます。概して、このような団体や教会でおこなわれていることは、指導者的な立場の人から「そうしないことの代償」を提示されるのが常です。「〇〇しなさい。さもなくば・・・」と言ったように、「さもなくば」という言葉が出たら注意が必要です。私たちはあくまで、何者にも誘導されることなく「自発的な判断と決断」によって、そのようになされることが大切なのです。
 
ですから、私たちが「喜んで神に献げる」ということを考える場合、その喜びは、本当に自発的なものによるものなのかということを、じっくりと祈りのうちに考慮することが、何よりも大切なのです。この時に、その判断基準というものが「私の好き嫌い」や「私の気分」だけでそうするのであれば、それはそれで問題なのです。あくまで、神との深い対話を通して、導き出されたものであることが大切なのです。神と私たち個々人との関係は、何者にも邪魔されることはありませんが、その関係性をいかに維持できるかというところに、このような聖書の言葉を考える際のポイントというものがあるのです。
 
「神のみ言葉に聴き、そして祈る。聖霊の導きを大切にしながら、自分自身と神との関係性のなかで、大切なことを判断し、決断していく」ということを、私たちは大切にしたいと思います。そんなことを、今日の黙想としたいと思いました。
 
どうか神が、私たちの姿というものを豊かに導いてくださいますように。そして、今日も主にあって素敵な一日となりますように。心からお祈りします。

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