くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編100編3節
主こそ神と知れ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録11章18節
(使徒ときょうだいたちは)「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を崇めた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
******
皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まり、昨日はそれぞれの場所で主の日の礼拝のときをお過ごしになられたことと思います。今日から始まる週日の日々にも、神が皆さんお一人お一人に親しく臨んでくださいますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「私たちの想像をはるかに超える神」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、使徒ペトロがキリストによる救いを宣べ伝えるなかで、救いの「範囲」というものが、それまで救いの外にいたものと思われていた、ユダヤ人以外の「異邦人」にも及んだことに触れたことを、都エルサレムに報告したなかでの一節です。
これまで、ユダヤ人のあいだでは、救いの外にある異邦人に対しては、触れることすら忌み嫌われるような態度で接していたことが伺えます。もともと、神がイスラエルの民を自分の民として選んだことが、イスラエルの民たちに特権意識のようなものを生んだのでしょう。彼らのあいだから、異邦人に対するそのような思いが芽生え、定着したのでした。
異邦人にキリストのよいたよりを伝えたペトロを、ユダヤ人たちは汚らわしいと批判しました。しかし、ペトロのそのような行動は、自らの意思というよりは、神が幻を通してペトロにそのようなアプローチをされたからでした。あくまでペトロは、神のみ心によってそのようにしただけでした。これまで自分たちがそうであると信じ続けてきた壁が、神によって打ち破られる一瞬がここにあったのです。
だからこそ、ペトロの報告を聞いたキリストの弟子たちは、素直に神を賛美し、あがめることができました。私たちの固定観念を超えて、新たなステージへと進ませてくださる神が、私たちとともにおられるのだ。このことは、今日の旧約聖書の言葉である詩編100編3節にある「主こそ神と知れ」という、詩人の賛美に直結するものなのだと、私は受け止めることができたのでした。
今日も、私たちの心を更新してくださる神が、私たちに新たな思いを授けてくださいますように。皆さんの主にある平安と祝福を、心からお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿