01/08/2026

2026.8.1(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
申命記5章21節
隣人のものを一切貪ってはならない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ガラテヤの信徒への手紙5章16節
私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
8月を迎えました。そして、今週も最終日を迎えました。
昨日から、東京にある「学生キリスト教友愛会(SCF)」と、明治学院東村山高校ボランティアチームの皆さんが、仙台に来てくださっています。東日本大震災以来、私が働く東北教区センター「エマオ」と深いつながりにある、荒浜・笹屋敷町内会がおこなう夏祭りのボランティアをされるためです。昨日今日と、エマオを宿泊場所に利用してくださっています。感謝です。私も、後ほど夏季伝道実習に来ている神学生とともに、仙台の被災地を訪ねたいと思います。今日も一日が充実したときとなりますようにと祈りつつ、ローズンゲンに示されたみ言葉に聴きたいと思います。
 
今日与えられたふたつの聖句を通して、私が大切にしたいと思ったメッセージは、「尊厳を守る」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉は、「十戒(申命記版)」の一節でした。隣人のものを貪るなと、神はモーセを通して語られました。つまり、この戒めを考える際に、そもそも、私たちに与えられた「人間が幸福のうちに生きることのできる」こと、つまり「尊厳」というものは、どのように生まれるのかという問いは、大変重要なものとなります。
 
私たちは、さも自らの所有物や権利というものを、私だけの独占物のように考えます。それが目に見える現実ですから、そう思うのも無理がありません。しかし、その思いが助長すると、人が大切にしているものまで、我が物顔で奪ったり踏みにじったりするのも、悲しきかな、世の中の現実なのだと私は感じています。
 
だから、私たちが人間として幸福に生きるために、無くてはならない「尊厳」の源と言うことについて考えるのは、本当に必要なのだと私は思うのです。神がモーセを通して与えられた十戒のなかに、隣人のもの(尊厳)を貪る、つまり奪い取ってはならないと記載されているのは、尊厳の与え主は、私たちの神に他ならないという、基本的な教えによるものなのです。もちろん、私たちには自由が保障されていることに間違いないのですが、だからと言って、決して、私たちが好き勝手にできるようなものでないということを、私たちは深く認識する必要があるでしょう。
 
だからこそ、今日の新約聖書の言葉でも言及されている通り、「霊によって」、つまり、私たちは神の真心である聖霊の導きによるからこそ、私たちは他者を隣人とすることができるし、隣人が大切にしている物事は、神から与えられているのだと言う認識が生まれてくるのです。だからこそ、貪るという身勝手な行動から、自分自身を守ることができるし、神が守ってくださるということが、自らの尊厳にもつながっていくのでしょう。私は、今日の聖句をそのように受け止めたいと思いました。
 
どうか、今日の一日もまた、そのような神の守りのもとにありますように。熊本の地にあって被災しているすべての方に、神の慰めと実際的な助けがあることを、心より祈りつつ過ごしてまいりたいと思います。どうぞ、キリストにあって、素敵な一日をお過ごしください。

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