くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編44編9節
私たちは日夜、神を誇り
あなたの名にとこしえの感謝を献げます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章19節
主に向かって心から歌い、また賛美しなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も一日が、私たちの神である主の守りと平和が、私たちひとりひとりと豊かにありますように。そのことを祈りつつ、今日のローズンゲンを通して与えられた聖句から黙想をつづりたいと思います。
賛美するとは誇ること。そんな言葉が、今日の聖句を通して私のなかで浮かんだテーマでした。誇るとは何でしょうか。国語辞典を開きますと、「立派だと思う。誉れとする。また、その思いを言葉や態度にあらわす。」(広辞苑第七版)とありました。つまり、今日の詩編のことばにもあるように「神を誇る」とは、まさに、神を立派な方であることを嬉しく思う思いであり、その思いが私たち一人ひとりの人生における、言動にしっかりと表れるような生き方を営むことこそ、神を誇るということの真意なのです。
今日の聖書の言葉ではありませんが、この思いを使徒パウロは、次のように表現しました。「誇る者は主を誇れ」(コリントの信徒への手紙一1章31節他)。自分自身の限界ある富や力、権力や社会的地位を、さも自分自身の独占物のように見なして、その自分自身の姿に陶酔するような誇りではなく、そもそもそのことを与え、導き、私たちを幸いな者としてくださる神こそ、立派な御方なのだということを、私たちは心の底から喜ぶことができるのだということを、私たちは神を誇ることによって明らかにすることができるというのです。
その喜びのかたちこそ、賛美という手段によって私たちは表現することができるのです。だからこそ、賛美するとは誇ることであると、私はあらためてこの聖句から受け取ることができました。主がなされたことを、私たちは心から喜び、歌うことによって、主に向かって賛美することを可能とするのです。
私たちは賛美をするときに、何に感動するでしょうか。その音楽性のすばらしさや歌詞に込められたその意味が、私たちの心を鼓舞したり、慰めたりすることが往々にしてあるでしょう。しかし、そこには「私たちの好み」の問題が入り込むこともあるかもしれません。私たちには、どうしても好き嫌いというものが存在します。そのことを私たちはどうしても否定することができないのです。
だからと言って、好きだからそれが万人にとって素晴らしい、嫌いだから素晴らしくないなどという理由はどこにもありません。私たちは、自分自身の慣れ親しんだものや向きというものを「最高のもの」とみなせば、それは神を誇る手段というよりは、自分自身に対する誇りを助長するために、賛美を用いることになりかねません。
このことは、私たちの嗜好性というものを決して否定しているわけではありません。神は素晴らしい御方であるということを的確に表現しているものであるならば、そこには良し悪しなどというものは存在しないということを積極的に肯定していきたいということなのです。どのような賛美の歌を歌っても、そこには主を誇りとする大きな喜びがあるということを、私たちは心の底から感じ取ることができるように、歌詞に込められた言葉をもって、音楽性をもって、大切にしていきたいのです。そのように、私は今日の聖句を通して、受け取りたいと思ったのでした。
時に応じて、私たちが神を心から賛美することによって、主を誇るということを実質的に表現することができますように。そして、賛美から導かれる私たちの生き方というものを、大切にすることができますように。心からお祈りします。
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