くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編68編6~7節
みなしごの父となり
やもめの裁き手となるのは
聖なる住まいにいます神。
神は孤独な人を家に住ませ
捕らわれ人を幸福へと導かれる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章14節
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈しみ深い父、慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日で一週間の旅路も最終日を迎えました。今日の一日が、明日の主の日に向かう備えの一日となりますように。この七日間に起きた出来事を振り返りつつ、今日も与えられたみ言葉に、耳と心を傾けていきたいと思います。
今日のローズンゲンを通して選ばれたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「私たちは決して孤独ではない」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書・詩編のことばに記されているのは、孤児の父となり、未亡人の裁き手となる神についてでした。親を亡くし、配偶者を失った者たちの孤独を、私たちの神は親となり、裁き手となってくださると詩人は歌いました。
裁き手とは、公平に物事を取り扱い、その人が不利益をこうむることのないように、対処してくださる役割を持つ存在のことを指します。もちろん、この場合の裁き手とは、孤独なものが孤独であり続けるがゆえに味わわなければならない不利益から、人々を解放してくださるという意味で用いられていますから、まさに、私たちの神がそのように、人間の孤独から解放してくださる方なのだということを表しているわけです。
それは私たちにとって、大きな慰めになるに違いありません。
私たちは日々の生活、人と人とのかかわりのなかで、多種多様な孤独を味わうことがあるでしょう。そのときの空しさというものは、私たちの安心に容赦なく攻撃を仕掛けるのです。人の集団のなかで、わいわいと騒ぐことがあったとしても、心がぽっかりと穴が開く経験というものを、私たちはしたことがないでしょうか。いろいろな幸せの機会に恵まれても、私の心の穴を埋めることができない時も、往々にしてあるものです。
しかし、それでも私たちは決して孤独ではないというのです。神の慰めが私たちを手当てするのです。キリストが私たちのために痛んでくださったという事実が、私たちの痛みや傷というものを守り、これ以上傷がさらされたり、さらに傷が広がらないように軟膏でしっかりとガードし、ガーゼのような柔らかい布を当てて、傷の回復に当たらせてくださる。これが神による慰めに他なりません。
私たちもこの七日間の生活を通して、大小さまざまな傷を負ったかもしれません。疲れそのものが私たちにとっての傷かもしれません。しかし、新しい週の夜明けとともに、その傷は、神が語りかけられる言葉と、聖霊の助けによって回復へと向かわせてくださる。そのことを十分に受けるために、今日の一日が良き備えの時となるように、私たちは祈りつつ、与えられた一日を過ごしてまいりたいと思います。
どうか、皆さんの新しい一日もまた、神からの豊かな慰めを感じ取り、それを心地よく受ける機会となりますように。心からお祈りします。
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