23/07/2026

2026.7.23(木)#日々の聖句#ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編88編9~10節
私は閉じ込められて、逃げることができません。目は苦しみのあまり衰えました。主よ、私はあなたを日ごとに呼び求めます。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録3章2節
すると、生まれつき足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」と呼ばれる神殿の門のところに置いてもらっていたのである。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日も、暑さのなかにあっても、私たちの健康が神によって豊かに守られますように!
 
今日のローズンゲンによって選ばれたふたつの聖句に共通するテーマは「弱さのなかにあって」と私は受け止めました。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
私たちのうちに「弱さ」を感じることがあるでしょうか。それは日常茶飯事のことであるかもしれません。日々出会うさまざまなことで、私たちは弱り果ててしまうのです。体の弱さ、心の弱さ、意志の弱さ、さまざまな弱さが私たちを襲うときに、少しでも弱さから脱却したいと願うからこそ、心身を鍛えようとするのは、私たちの世界では決して珍しいことではありません。
 
しかし、どんなに鍛えても、ある程度の強さを手に入れることができたとしても、究極的かつ完全に弱さから逃れきることはできないのです。ときどき、自分自身の弱さというものに気付かされたとき、私たちは何とも言えない空しさというものを痛感させられることがあるのではないでしょうか。そのことに悩み苦しむ私たちの姿に気付いてしまうのです。
 
私自身も、そのようなことにしばしば見舞われます。弱さに取り囲まれたときに、焦燥感であるとか、孤独感であるとか、そのようなものが私の心を襲います。健康が損なわれて、身体に痛みが生じるときに、この痛みから脱することができるのだろうかと、痛みを感じる不安に苛まれるのです。
 
今日の聖書の言葉は、そんなときだからこそ、神の助けを必要とした詩人ダビデの訴えがあったことを、私たちは聴きとりたいのです。神に十二分に祝福されて、何不自由ない生活を営んでいたダビデ王ですら、自分の弱さに気付き、その弱さにがんじがらめにされる苦しみを味わいました。そんななかで、ダビデは自分のすべてを知っていてくださる神に呼びかけました。毎日毎日呼びかけたのです。
 
私たちはダビデのように、神につねに助けを求めることができないかもしれません。しかし、そのきっかけはいくらでも与えられます。のちに使徒ペトロとヨハネによって脚力の差しさわりを取り除かれた男のようにです。今日の新約聖書の言葉は、そんな男が生活のための最低限の施しを得るために、神殿の門前に横たわっていたことが記されています。
 
彼にとって施しを受けることは生きるために絶対に必要なことでした。弱さのなかでできる精一杯のことでした。しかし、神は彼の弱さを根本的に解消されました。神は施されること以上に、人生を活かす道を与えられました。この神の出来事に、私たちは、どんなに頑張っても克服できない私たちの限界を超えてくださる、神の恵みというものを見ることができるのだと、私はあらためて思わされたのでした。
 
今日も、私たちの弱さをすべて理解してくださったうえで、私たちとともに生きてくださる神がおられます。その神とともに歩む皆さんの幸いが、存分にありますように。心からお祈りします!

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