くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
出エジプト記34章10節
すると主は(モーセに)言われた。「あなたと共にいる民は皆、主の業を見るであろう。」
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書15章31節
群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も暑い一日がやってきました。比較的涼しいと言われている仙台の街ですら、昨日の最高気温は35.6度でした。私がまだ幼い頃は、どんなに気温が上がっても30度を超えることがなかったので、日本全体が気温上昇しているのだなと改めて思わされました。今日も、皆さんの健康が守られますように。そのことをお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「主のみ業を見る幸い」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
先週の水曜、私たちの教会のメンバーの方が神の御許に召されました。先月、病床洗礼を受けた方でしたが、やはり教会員である姪御さんの祈りと、ご家族の深い理解もあって、病床洗礼へと導かれました。その後、意識がもうろうとするなかにあっても、日々穏やかに過ごすことができたのは、その方を知る周囲の方々にとっては、大きな慰めになっただろうと思ったのです。
葬儀には、親族の方々が参列されました。その多くが、キリスト教葬儀は初めてということでした。私は、自分たちの信じている神、そして、キリスト教という宗教が、決して得体の知れないものではないということを知っていただくには、私自身の姿勢というものが問われていると強く感じました。そして、心を込めて葬儀を司る機会をいただきました。
葬儀が終わってから、「初めてキリスト教葬儀というものを経験したけれど、思った以上に良いものでしたね」という感想をいただきました。こういうときに、真心を込めて携わることができた自分自身を振り返って「良かった」と思うのですが、大切なのは、その「良かった」という思いを与えてくださったのは、他ならぬ神御自身であったということを、感謝のうちに思うことができました。
神は、亡くなられた方を通して、御自身が人々を慰め、励まし、平安と祝福を与えてくださるということを、葬儀という悲しみや寂しさ、ややもすると抹香臭さやじめじめした雰囲気すら与える機会においても、私たちに与えてくださるのだ。これこそ「神のみわざ」なのだと思えてならないのです。
今、神を信じていようがいまいが、神は私たちにそのように働きかけてくださいます。それに私たちひとりひとりが「気づいた」時にこそ、神のみわざを見、そこに喜びと幸いを確認することができるのだと。そのことを、今日の聖句を通して、あらためて感じとることができたのでした。
そのような神のみわざが、今日も皆さんの心に響き渡りますように。一日の主にある平安と祝福をお祈りします。
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