くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編25編20節
私が恥をさらすことがないようにしてください。
私はあなたのもとに逃れます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章19節
(イエスの言葉)
私が生きているので、あなたがたも生きることになる。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も新しい一日がやってまいりました。どうかこの日が、私たちにとって、神を心から感じることのできる、そのことによって生きる励みや慰めが豊かに与えられるよう、心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日私が受け止めたいと思ったのは「ただ神のおかげで」ということでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書のことばは、詩編25編でした。イスラエル王ダビデによる神への告白の一節が選ばれています。「私が恥をさらすことがないようにしてください」というダビデの願いは、その前の節を読むと、より深い理解を得ることができると私は思いました。
詩編25編19節
見てください、どれほど私の敵が多く残忍なまでに私を憎んでいるかを。
つまり、ここで言う「恥」が何であるかについて、明確にそのことを示しています。ダビデの感じた恥とは、神に与えられたイスラエル王としての務めを果たすがゆえに生じる、敵からの残忍な憎しみに起因するということです。イスラエル王に求められていることは、ただ神に忠実であって、神とともに誠実に歩むということでした。ですから、ダビデが感じた恥は、あくまで神とともに歩むことが前提にあってこその恥ということがわかります。
つまり、神とともに歩むというのは、自らのうちそとに生じる恥と、いかに向き合うことができるかということをも意味しているような気がしてならないのです。その恥がなんであるかを理解した時に、自身が感じた恥というものを、神はどのように取り扱ってくださるのだろうかという思いへと動かされるのであれば、それはとても良いことなのだと思うのです。
もしその恥が、神を誇ることではなく、自分自身を誇り、自益を優先するがために起きるものであるならば、その恥は甘んじて受けなければならないだろうし、そこに神の介入と助けがあり、そういうところから解放してくださるように導いてくださることを、受け入れる思いが与えられるかもしれませんし、神を誇るがゆえに生じた恥ならば、それは必ず神が私たちを助けてくださるのだという、強い信頼と信仰の根拠となることでしょう。
イエスは言われます。私が生きているからこそ、あなたも生きるのだと。恥をその大きな愛で覆い、ケアし、大切なことを教え、導いてくださる方だからこそ、今日も主にあって生きることが大いに許されているのだ。そんな思いをもって、一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの一切に、神の守りと祝福が豊かにありますように!
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