くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編57編3節
私はいと高き神に
私のために成し遂げてくださる神に呼びかけます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書16章24節
(イエスの言葉)
今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい朝を迎えました。昨日の涼しさとは一変して、仙台は最高気温が36度まで上がる予報とのこと。全国的に酷暑のようですので、どうぞ健康が守られますように。心からお祈りします。特に、被災の地にある熊本や千葉にある方々の健康が守られることを祈りつつ、一日を過ごしてまいりたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは「神に願う」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
私たちが神仏に願い事をするというのは、洋の東西、古今を問わず人々が大切にしてきたことでした。どんなに科学が発達し、神の存在が非科学的と言われようとも、人間は見えない何かに対して願い求めることを、決して絶やしたりはしませんでした。そして、私たちキリスト教の環境にいる者もまた、神に祈る際に、願うことを忘れたりはしません。神に願うのです。
しかし、神に願ったからといって、私たちの要求がすべて通用するわけではありません。私たちはそのことを大なり小なり経験しているかもしれません。では、そのときに、私たちはどのような思いを抱くのでしょうか。神の「効き目のなさ」に憂い、時には怒りを発したくなることはないでしょうか。神は本当に、私の切なる願いに耳を傾けているのだろうかと疑いを抱かないでしょうか。
それが決して「悪い」わけではありません。誤解を恐れず申し上げれば、私たちは「疑いながらも、神を信じる」という営みを繰り返しながら、神の発するみ声というものに耳と心を傾けるということがしばしばあるからです。そして、神が私たちに応答してくださるとき、それは私たちが想像していたこととは違う、しかし、それは私たちにとって結果的に「ベスト」と思えることが神によって応答されるということもまた、私たちの経験にあるのかもしれません。
神はご自分にとって、私たちが最高の結果となるために働いてくださる方です。私たちが思い願うベストのかたちと、私たちを創造された神が、私たちの幸いのために働いてくださることとのあいだには「ズレ」というものが生じるかもしれません。しかし、神は今日の詩編のことばにもあるように、「私のために成し遂げてくださる」方なのです。私にとって何がベストか、すべてを御存じある神が、私たちを導いてくださるというのです。
だからといって、神がそうしてくださるのであれば、私たちは何も願わなくて良いわけでもありません。たとえ神の思い願いと私たちの願望がずれていたとしても、だからこそ、私たちは神に願い求めることは大切なのだと私は思います。願い求めるうちに、神はご自身のみ言葉である聖書と聖霊の助けによって、私たちをときに軌道修正してくださる力をお持ちだからです。そういう営みのなかで、私たちは、「何が健全な願いなのだろうか」ということを知っていくのではないだろうか。私たちに大切なのは、その紆余曲折とも思える営みのなかで、神の導きを大切にできることなのだろうと思うのです。
そのような思いをもって、今日の一日を歩むことができますように。私たちの必要をすべてご存知である神が、今日も私たちをご自分の道に導いてくださいますように。お祈りします。
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