24/08/2026

2026.8.24(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書48章6節
(神の言葉)
これから私が新しいことを聞かせよう
あなたの知らない秘められたことを。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録17章32節
(アテネの人々は)死者の復活ということを聞くと、ある者は嘲笑(あざわら)い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
主の日、皆さんはどのような一日をお過ごしになられたでしょうか。私自身、主の日の礼拝を通して、神から良いものをいただいて、新しい一週間のスタートを切ることができて感謝でした。この感謝の思いを忘れずに、日々を過ごしてマりたいと思います。まだまだ残暑が続く時ですから、皆さんの健康と信仰がゆたかに守られますように。心からお祈りします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日私が受け止めたいと思ったのは、「神は不思議なことをされる方」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
先日、礼拝に出席しておられる求道者の方から「くすしき」とはどういう意味なのだろうかというご質問を受けました。私たちはこの言葉を、何の疑問も無しに、神を修飾する言葉として用いているのではないだろうか。その方の質問を通して感じたのです。
 
くすしき(奇しき)という言葉は、「奇」という言葉が指し示しているように、私たちの想像をはるかに超える「不思議さ」という意味がともなっていると私は理解しています。「奇術」であるとか「奇跡」という言葉にもあるように、私たちの常識では考えられないものの表現としてこの言葉が使われることを考えれば、奇しき神のみ恵みなどという言葉を用いるときには、神が私たちの想像や常識を超越したところで、良いものを私たちにお与えになられる方であることを想起させる、そんな思いをもって、この言葉を使うことの大切さを思わされるのです。
 
そういう意味で言えば、今日の旧約聖書の言葉が指し示しているように、「あなたの知らない秘められたこと」というのは、神のダイナミックスさを顕著に物語るものとして、私たちは是非とらえていきたい。そんな思いが心にあふれてくるようです。神のダイナミックスさを、私たちの常識や固定観念の枠のなかにとどめてはならないのだと、私は自戒を込めて思わされるのです。
 
その最たるものは、死者のなかから復活されたイエスの出来事に他なりません。死者が生き返るということを真実なものとして受け入れる私たちにとって、これは神業以外に考えられないからです。なにも生理学的に止まった鼓動が復活するということをも超越した、私たちに「新たな命・新たな生活・新たな希望」を与えてくださる神が、今日も私たちとともにおられるということを、私たちはどれだけリアリティをもって受け入れているのかという思いが、今日の聖句を通して問わされているような気がしてなりません。
 
のちに、使徒パウロがアテネでキリストの復活を宣べ伝えたとき、まさに「けんもほろろ」な経験をパウロはしました。まったく相手にされない。当然です。私たちの限りある知識や常識、固定観念のなかで、神を完全に規定することなどできないからです。だからこそ、私たちは、自分の限界のなかで、聖書の言葉と聖霊の導きによって、物事を規定しなければならないけれど、しかし、同時に、それを超越する神のなさることに、柔軟な思いをもって向き合う必要性というものを感じさせられるのです。
 
私たちに求められるのは「キリストという一本芯の通ったところにあって、いかに私たちの思いや心がしなやかであるか」ということだと思います。そんな一日を今日も営むことができますようにと祈ります。そこに神の「くすしき恵み」があることを心から信じつつ。
 
今日も皆さんのすべてに、神の守りと平安を、心からお祈りします。

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