23/08/2026

2026.8.23(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書48章21節
主が彼らに乾いた地を行かせたときも
彼らは渇かなかった。
主は彼らのために岩から水を流れ出させた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書9章41節
よく言っておく。あなたがたがキリストに属する者だという理由で、一杯の水を飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。この七日間の旅路を、私たちはどのようにキリストとともに歩むことができるでしょうか。私たちのおぼつかない歩みがあったとしても、私たちの手をとってくださるキリストがともにいてくださることを心の糧として歩むことができますように。そのことを思えるためにも、今日も聖書の言葉に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通する話題は「渇き」でした。今年は世界の各地、特に欧州では渇水に悩まされたと聞いています。暑さに象徴される猛烈な日照りゆえ、私たちの心までもが渇いてしまうような状況のなかで、私たちの心にうるおいを与えてくださる神がおられるというのが、今日のふたつの聖句に共通するメッセージです。
 
イエスが実際に生きておられた、そして旧約聖書の世界であるイスラエルの地は、私たちが想像する以上に、酷暑になやまされ、雨が一滴も降らない季節が半年ほど続く地域です。水資源の豊富な日本では、なかなか想像しにくいかもしれません。そんなときに、私たちの喉を心地よくうるおす水の存在は、大変貴重なものであると言って良いでしょう。
 
私たちにとって「水が当たり前のものとして手に入る」環境のなかでは、水のありがたみのようなものは、なかなか実感できないかもしれません。今日の聖書の言葉は、一杯の水を通して、神が私たちの心をうるおしてくださるというメッセージを通して、神が、私たちの心をなにをもって瑞々しいものにしてくださるのかという問いが、私たちに問われているような気がしてなりません。
 
それはやはり、神が与えてくださる「命のことば」に他ならないのだと、私はあらためて思わされます。私たちは聖書の言葉を大切にすることを通して、神が私たちとともにいてくださることを実感しつつ歩まされています。命のことばに触れることなく、神を感じることはできないと、誤解を恐れず申し上げることもできるのではないかと思うのです。
 
だからこそ、私たちは少しでも、神の言葉に触れる機会というものを、自分自身で確保することが大切なのです。喉の渇きを癒やす水の存在を求めるようにです。当たり前のもの、いつでも得られるものだと思うと、私たちは神の言葉に対する慕い求めも弱くなってしまうのかもしれません。それだけ、神の言葉には、私たちを心底から活かす力というものがあるということを、私たちのなかで問い続けていきたいのです。問い続けていくときに、神は何らかのかたちで、必ず助けてくださるからです。
 
私たちは、そのような神の与えてくださるものをいただくときに、それを周囲に分かち合うことができます。神の言葉が与えてくださる感動というものを、少しでもこの新しい一週間のなかで、分かち合う幸いを味わうことができますように。そこには、キリストがともなってくださっているのだということを信じつつ。
 
今日の一切に、世界じゅうでおこなわれる主の日の礼拝のために、心からお祈りします。

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