くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
エゼキエル書37章27節
わが住まいは彼らと共にあり、私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章12節
言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
私事、月曜から昨日までの仕事を終えましたが、事情があってもう一日東京に滞在することになりました。昨晩はホテルでゆっくりと休むことができました。疲れも十分に取れましたので、今日も与えられた務めを果たしつつ、神とともに、神の平安のうちに、一日を歩んでまいりたいと思います。
引き続き、被災のもとにあって苦痛を覚えておられる熊本や千葉にある方々のために、祈りを合わせたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「言葉をもってともにいてくださる神」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉であるエゼキエル書37章の言葉は、荒廃のなかにあって、神がそのなかからご自分の息吹を再び吹きかけられることによって、再生していく様子のなかで語られた言葉です。ここで神の宣言がありました。「私はあなたがたとともにいる」と。
この「共にいる」という表現こそ、神である「主」のお名前(ヤハウェ)の示す意味でした。「私はいる」と、その昔神は、民たちに対して自らの名の意味を明かされました。どんなに荒れ果てても、希望を見い出せない状況のなかにあっても、私はいると宣言してくださる神が、今日も私たちひとりひとりと一緒にいてくださるというのです。
そうすることで、私たちは神の民とさせられる。民とされるからには、しっかりと私たちのことを守ってくださる。これが、夢も希望も見いだせないなかで語られた神の「言葉」でした。その言葉が、後に肉体を帯びることによって、さらに具体化されます。その「受肉化された言葉」こそが、「言(ことば)」と名付けられた神のみ子、イエス・キリストそのお方なのです。
イエスの言葉に示されたその根幹にあるものは、まさに「私たちと共にいてくださる神」でした。これがしっかりと根付き、枝葉を支える幹となることで、私たち一人ひとりに、「神の民」として生きることの幸いを、イエスはご自身の身をもって、私たちすべてに明らかにされたのでした。
だからこそ、今日の新約聖書の言葉の通り、言葉を自分の心身に肯定的に受け入れ、自分自身の生き方としたいとあこがれていくならば、それを助け、喜んでくださる神がおられるというのです。「神の子となる権能」とありますが、この権能は、私たちの努力や忍耐によって生成されるものではありません。あくまで神が助けてくださるというところに基づいて、私たちひとりひとりをつくりあげる元に他ならないのです。
そんな思いを胸にして、今日という一日を歩んでまいりたいと思います。どうか主が、私たちの一日にともなってくださることを心の希望として、歩むことができますように。皆さんの主にある平安と祝福を、心からお祈りします。
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