15/08/2026

2026.8.15(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編95編6節
さあ、ひれ伏し、身をかがめよう。
私たちを造られた方、主の前にひざまずこう。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書17章16節
そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。帰省によるUターンラッシュも、そろそろ始まることかと思います。どうかすべてにおいて安全が守られますように。そして、熊本の地において、そして千葉の地において集中豪雨で不便と不安を感じておられるすべての方々に、神の守りが十二分にありますように、心からお祈りします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、今日私が受け止めたいと思ったのは「ひれ伏する」ということについてでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
 
ひれ伏するとは、「両手をつき、頭を地につけて礼拝すること」(広辞苑第七版)とあります。身を低めること、頭を下げること、手を出さないことなど、いろいろなイメージを私たちに呼び起こします。
 
そして、日本にとって、おそらくひれ伏することと同列に置かれている言葉に「土下座」というものがあります。土下座も似たような意味があるかと思います。「相手に恭順の意を表すため、地上にひざまずいて礼をすること」(広辞苑)とあります。しかし、土下座という言葉には、相手に対する強い反省や謝罪をするときに行うものという意味も含まれるかもしれません。もっとも、そのような意味が、土下座に含まれるようになったのは、第二次世界大戦後、時代小説や時代劇などで使われるようになったからだと言われているようです。
 
私たちは、聖書に書かれている「ひれ伏する」を考えるときに、人に対する謝罪や許しを乞うしるしとして行うものというイメージをもって、ひれ伏することを考えるよりは、神に対する敬意と感謝ゆえに、自分自身の身を低めるということの象徴的なしるしとして、ひれ伏するというイメージをとらえるということが、大切なのだと私は考えます。
 
私たちが神によって造られ、命与えられたことに対する感謝のしるしとしてのひれ伏するという行為、サマリア人がイエスに対して感謝の心をもって自分自身の身を低めてひれ伏したという出来事など、今日の聖句に記されていることは、最大限の感謝と好意ゆえの私たちの表現であることを、前向きに受け止めたい。私が今日思ったことです。
 
明日の礼拝において、私たちはどのように神に感謝や好意をもって、礼拝のときを過ごすことができるでしょうか。実際的にひれ伏するということはなかったとしても、心と思いは、神にひれ伏する精神をもって、主を礼拝する喜びにあふれたいと願います。そのための備えの一日として、今日という日が神の祝福にあふれますように。
 
今日の皆さんの一切が、神の守りと祝福のうちにありますように。心からお祈りします。

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