くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編105編8節
主は心に留められる
主の契約をとこしえに
命じた言葉を幾千代に
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章20節
神の約束はすべて、この方において「然り」となったからです。それで、私たちはこの方を通して神に「アーメン」と唱え、栄光を帰するのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
台風の影響もあって、昨日の仙台は強い雨が地を叩きつける時間帯もありましたが、何とか台風も本州を抜けて、ホッとひと安心です。しかし、台風の爪痕も各地であったようですし、新たな台風もやってくるとのこと。引き続き、安全が守られますように。そして、今日も熊本の地で不自由を感じているすべての方々に、神の慰めと励ましがあることを、引き続き祈りたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「神は約束を必ず果たされる」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
神は幾千代、つまりいつまでも絶えることなく、ご自分が人間に対して宣言された約束を反故にされることはないと、歌い手は詩にしたためました。神はご自分の約束を「契約」のかたちにして、人間に与えられました。
もちろん、契約ですから、神が出された約束に対して、人間はその約束に対する責任を果たさなければならないということが必須でした。それが破られるならば、契約破棄という、私たちの世界では当たり前の展開となります。実際に、これまでの歴史のなかで、人間は神が提示され、そして締結された契約内容を、何度も何度も破り続けてきました。それは、聖書、特に旧約聖書に記されているとおりです。
しかし、にもかかわらず、神は人間とのあいだに結ばれた契約を破棄されることは決してありませんでした。それどころか、人間がいとも簡単に破ってしまう契約が空しいものとならないために、「究極の契約」を提示されました。それが、まことの人でありまことの神となられた、み子イエス・キリストだったのです。
イエスはその言葉と生き方によって、契約の本質を私たちに見せてくださいました。そして、最終的には私たちの命のために、自らの命を犠牲とされるまで、私たちとの契約を大切にされました。犠牲となった命が終わることなく、復活をとおしてその約束が永遠にわたるものであることを、私たちに明らかにしてくださいました。
今日の新約聖書の言葉にもあるように、「神の約束はすべて、この方(イエス・キリスト)において『然り(そのとおりに)』となった」というのは、まさに、イエスによって神の約束が決して反故にされることがなかったのだということを、私たちに事実として提示されたのでした。私たちはただ、この出来事に対して「アーメン(その通りです)」と認めることこそ、契約における責任を果たすことなのだと、私はあらためて受け入れたいと思ったのです。
こうして、神と人間との契約が、私たちを活かすためのものであったことを想いつつ、また、契約をないがしろにしない神のなさることに感謝しつつ、少しでも「アーメン」と私たちの生き方において示すことができますように。今日一日の、皆さんの一切に、神の平安と祝福が豊かにありますように。心からお祈りします。
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