10/08/2026

2026.8.10(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編103編19節
主は天に王座を据え
その王権はすべてを治める。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書25章31~32節
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められる。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
お盆休み前の平日の一日を迎えました。すでに休まれている方もおられるかと思います。私も今日から土曜日まで休暇のひと時をいただきました。普段できないことに手をつけながら、ゆっくりと休暇を楽しみたいと思います。皆さんの一日にも、神の守りと平安がともに、豊かにありますようにお祈りします。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは「神は私たちのすべてを治められる」というものでした。そのことについて、黙想をつづりたいと思います。
 
私たちの神は、全世界を治める、つまり統治される方であることは、今日の聖句が語っているとおりですし、私たちは、その統治のもとに生かされている神の民であることに間違いありません。統治者に求められていることとは、私たち民を幸福へと導くということに他なりません。
 
しかし、私たちの神の統治があるのにもかかわらず、この世の中は本当に神の統治にふさわしいものとなっているでしょうか。相も変わらず差しさわりがあり、人と人との間に起こる亀裂や衝突が後を絶ちません。自分だけが得をしようとする思いが、他者の大切なものを奪い取り、不均衡や不条理が私たちの世界を容赦なく襲うこともあるのです。そんなことを考えると、神の統治など本当にあるのだろうかと、首をかしげてしまうのです。
 
しかし、それは神の統治不足なのでしょうか。私たちの神は、そのような不均衡に大なたを振るって強制的に是正することを、拙速に行われません。忍耐をもって、私たちの動向をじっくりと見守っているのです。そして、イエスという救い主を差し出されることによって、イエスの生涯における言葉と行いによって、神の統治のもとに生きるとは、どのようなことかをその生き方で示されました。命を私たちに与えられることによって、その尊さということを、私たちひとりひとりに示されたのは、神の統治の何物でもないと言えるのです。
 
神の統治のもとに、神の願いにふさわしく生きることの幸い。どんなに統治者が素晴らしくても、その統治のもとで生きる私たちがそこに同調しない限り、世の中はいつまでもゆがみに満ちた世界になることは間違いないのです。だからこそ、私たちの姿勢というものが問われていることを、私たちは今日の聖句からじっくりと聴きとりたいと思います。
 
神の御国の民として、今日も神のみ心に生きる者となることができますように。神の言葉と聖霊の助けによって、今日一日が主にあって健やかであることを、心からお祈りします。

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