くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書27章5節
私は、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、地と、地の面にいる人と動物を造った。そして、私の目に適う正しい者にそれを与える。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙1章20節
神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されて以来、その筋をきちんと追ってさえすれば、その御業の内に見て取ることができたのです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。今朝はどうしても礼拝の準備などでローズンゲンの黙想をつづることができませんでしたので、夕方になってのお届けです。ローズンゲン運動が始まったドイツ・ヘルンフート兄弟団は、労働が始まる前の朝に村の礼拝堂に集まって祈りの時をささげ、労働が終わった後に再び礼拝堂に歩まって、夕の祈りの時をささげたのだそうです。一日の営みを振り返られるような思いをもって、聖書の言葉に聴き、祈るための備えをしたいと思います。
今日のローズンゲンを通して示されたふたつの聖書の言葉は、どちらも「神による創造の御業」というものに言及されています。神がこの世界を創造され、天体を整備され、この世界に生きる動植物を造られ、それら被造物を管理するために、私たち人間が最後に創造されました。そのことは、創世記1章から2章冒頭に描かれている通りです。
しかし、聖書に描かれている創造の業というものを知っていたとしても、自然界を見て、その美しさに驚嘆し、深い感動を覚えたとしても、私たちにとって大切なことは、創造主である神が、これら創造の業を通して、私たちに何を伝えようとしているのかということを、私たちがいかに理解するか、ということにあると私は改めて思わされました。
今日のふたつの聖句は、神によって造られたものは「私の目に適う正しい者」に与えられる(旧約聖書・エレミヤ書)とあり、「その筋をきちんと追ってさえすれば、見て取ることができる」(新約聖書・ローマの信徒への手紙)と記されています。
つまり、神の創造の業を通して、神は何をもって世界を創造されたかということを、いかに私たちが理解しているか? 受け止めているだろうか? この世界を造られた神の思いに、自分自身が歩調を合わせて生きようとしているだろうか? そんなことを、今日の聖句を通して考えさせられます。
この世界は進化によって発展したという、すでに常識化した通説を踏まえれば、創造という考え、神がおられるという考えは、現在の世界ではなかなか受け入れられないこともあるでしょう。時代遅れの、古い考えなのです。そのような声が、聞こえてくることでしょう。
しかし、それでも私たちは考えたいのです。もし神がこの世界を創造されたのであれば、その目的はまさに、「造られた者が平和と安全のうちに生きる」ことであり、そのことを私たちの神は切に願い、その願いを込めつつ、すべてを創造されたというのが、聖書に描かれている創造論の中心にあるものなのです。
この神の願いは、たとえ神を知らなくても、私たちならば誰でも願うことなのではないかと私は思います。ただ、私たち「だけ」では、その考えをゆがみなくとらえ、それを健全に運用するのは非常に難しいというのが、人間が営んできた歴史が証明しているのです。
だからこそ、神がこの世界に対して言わんとしていることを、丁寧に、丹念に聖書の言葉から聴き、神へ祈りつつ、聖霊の助けをいただきながら歩むことの大切さを、今日のふたつの聖句から黙想させられました。そのような思いをもって、今週も歩んでまいりたい。そのように思わされました。
まだまだ寒い日が続きます。どうか皆さんの日々が、健康が神によって支えられますように。皆さんの主にある守りと祝福を心からお祈りします。
