くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編74編21節
主よ、虐げられた人が再び辱められることのないようにしてください。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書15章25~28節
カナン人の女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、私をお助けください」と言った。イエスが、「子どもたちのパンを取って、小犬たちに投げてやるのはよくない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」そこで、イエスはお答えになった。「女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」その時、娘の病気は癒やされた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。救い主イエスの復活を祝うイースターから数えて33日目を迎えました。ここのところ、コンスタントに御言葉の黙想をお届けすることができず申し訳ありません。昨日は脚を怪我した妻を病院へ連れて行き、妻に休んでもらう分家事をしておりました。今朝は教会のメンバーがお亡くなりになり、これから葬儀の準備に入ります。どんな時にも私たちを守ってくださる神がともにおられることに安心しつつ、今日も過ごしてまいりたいと思い、今朝のローズンゲンに示された聖句に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のふたつの聖句を通して私が受け止めたいと思ったのは「神は誰でもご自分とともに生きたいと願う方々を見捨てられることは決してないのだ」ということでした。そして、今日の新約聖書の言葉として選ばれたのは、悪霊にひどく苦しめられてた娘を抱える母親とイエスとの出会いについて書かれた箇所でした。この母親は「カナン人の女」と記されています。いわゆる外国人のことであり、一般的に「救いの外」にある人々とみなされていました。
母親はこの娘さんのことで、多くの苦しみを味わったに違いありません。周囲から心無い言葉や態度を示され続けていたかもしれません。だからこそ、何とかしてこの苦しみから解放されたいと心から願ったことでしょう。一縷の望みを込めて、イエスに近づいたに違いありません。必死にイエスに懇願する母親の姿というものを、今日の聖句からも読み取ることができるのです。
一見すると、この母親の懇願に対するイエスの反応は「冷たく」感じるかもしれません。それはイエスに与えられた使命について述べるものでした。あくまで救いの対象であるイスラエルの人々だけに遣わされているのだと。そして、カナンの女に対して「小犬」という表現を用います。犬とは当時侮蔑の象徴として用いられていたものですから、ずいぶんな言いようだなと感じることもできるわけです。
しかし、それはイエスの「本心」ではないことは明らかでした。母親も決してあきらめませんでした。イエスこそこの苦しみを分かってくださるに違いない。だからこそ、小犬ですら食卓から落ちたパンくずをいただくことができることをイエスに告白しました。主とともにいれば、誰でもその恩恵にあずかることができるのだという心からの願いを、母親である女性は告白するに至ったのです。
その母親の「主とともに生きたい」という心を、すぐにイエスは受け取られました。イエスは形式ばかりで動かれるのではなく、本当に大切に思われること、必要とされることのために力を尽くされる方ですから、母親の懇願を叶えられました。かくして娘さんの病は癒されました。癒されたのは娘さんだけではありませんでした。これまで母親が味わってきたさまざまな苦しみすら、イエスは癒してくださったのだと私は思います。
虐げられた人々を辱められるようなことはなさらない。それが神の人に対する思いです。この神とともに生きる幸いというものを、今日のふたつの聖句は私に知らせてくれたのだと受け止めることができました。この思いを胸にして今日も歩んでまいりたいと思います。皆さんの新しい一日に、そのような主の守りが豊かにありますように。お祈りします。