くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ヨシュア記23章8節
今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章25節
ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。
9月を迎えました。少しずつ秋めいた日々となってくれれば良いのですが、残暑の猛々しさは一向におさまる雰囲気ではなさそうです。とはいえ、仙台の街は朝夕ずいぶん涼しくなり、過ごしやすくうなりました。このひと月もまた、皆さんの健康が守られて、健やかな毎日を神とともに過ごすことができますように。お祈りします。
さて、今日のローズンゲンにしめされたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「信仰共同体の大切さ」というものです。そのことについて黙想したいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、長きにわたるエジプト脱出の日々が終わり、約束の地に招き入れられたイスラエルの民たちが、その土地でさまざまな出来事に遭遇しながらも、時には命の危険すらありながらも、神がこの民を守ってくださったのだという指導者ヨシュアの回想の言葉です。年老いたヨシュアの告別的な言葉の一部として収められている部分です。
ここまでイスラエルの民が生き残ることができたのは、彼らの強靭さゆえのことでは決してありませんでした。そうではなくて、実に頼りなく弱弱しい人々を愛し、ご自分の大切な民として守り続けてくださった神がともにおられたからです。民はそのことに気付かなければなりませんでした。でなければ、すぐに自分自身の能力や手柄ゆえのことと勘違いしてしまうからです。
こうして神に守られた者たちがともに生きるために、無くてはならない唯一のものは、自分たちの神を「神」とすることでした。自分たちを神とするのではない。神をないがしろにしないことなのです。そのために、ヨシュアは民たちに告げました。神である主ヤハウェにこそつき従いなさいと。神の言葉を自分の心に刻み、その手に握りながら、民たちが互いに励まし合いながら生きなさいということなのです。
私たちがこの世界で生きるときに、もちろんそれぞれの「個」が十二分に尊重されてしかるべきです。みんな違ってみんな良いという言葉があるように、それぞれの違いが多様的に存在していることは、とても良いことなのだと私は思います。しかし、そのためには「ひとつの価値観」というものが大切にされることが必要なのだとも思います。そうでないと、多様性が単なるわがままのぶつかり合いになってしまうからです。
そこで、少なくとも神によって招かれた私たちは、神とともに歩む共同体であるという意識によって、神の言葉に裏打ちされた価値観によってひとつにされることが絶対不可欠なのです。そこで同じ価値観が存在するからこそ、互いの個性が活かされ、その個性を互いに尊重するところにこそ、多様性というものが大切にされるのです。たとえて言えば、日本国民が日本国憲法という共通の価値観を大切にするからこそ、基本的人権が尊重されるということと一緒なのです。私たちは、神の言葉によって信仰共同体の価値観が形成されて、そこが大切にされるからこそ、神のもとで互いに大切なものを尊重し合いながら生きていくことが可能とさせられるのです。
そのことを踏まえて、教会という場について考えたいのです。教会という信仰共同体が、神の価値観によってひとつとされているからこそ、この共同体に組み入れられ、今日の新約聖書の言葉にもありますように、互いに励まし合いながら、あらゆる困難を乗り越えることのできる大きな助けとなっていくのだと私は思いたいし、そう願って教会の営みというものを大切にしていきたいのです。多様性のなかの統一性という、信仰共同体の最も肝とされる部分に心を寄せつつ、今月も歩んでまいりたいと思いました。
どうぞ皆さんのこの月の歩みが、そのような共同体のなかで、神によって大いに祝福されますように。心からお祈りします。