くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書33章11節
さあ、あなたがたの悪しき道から立ち返れ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書3章21節
真理を行う者は光の方に来る。その行いが神にあってなされたことが、明らかにされるためである。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
とても寒い、氷点下の朝を迎えました。インフルエンザも流行していますので、身体に気を付けつつ、今日も健康が守られるように一日を乗り越えていきたいと思います。どうぞ皆さんの一日の健康と信仰が守られますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「神の方角をただ見つめて生きる」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書のことばは、預言者エゼキエルに語りかけられた神の言葉です。神がご自分の民イスラエルに対して、エゼキエルを通してご自身の思いと願いを、この言葉に込められました。そのメッセージこそ「神の方角へ向き直して、神のもとへ帰る」ことを、神が切に願っておられることだったのです。
「なぜあなたは死のうとするのか」と神は問われます。この言葉に私たちは問われていることを真剣に受け止めたいのです。どうして死に急ぐのか。神との別離と隔絶は、今イスラエルの民たちが経験している苦悩へと直結するものでした。故郷を離れ、バビロニア帝国の捕虜として数十年にわたる苦しみを味わわなければならなかったからです。
この苦しみは、神のくだした罰ではないと私は受け止めています。いわゆる民たちの「自業自得」なのだと。だから、自分自身のこれまでの生き方というものを精査することなしに、それを棚に上げて、神にその責を問うことは、実に本末転倒なのだと私は思っています。神のもとから知らず知らずのうちに、自らが心も体も離れていった結果、彼らは苦しみを得ることになったのです。
一番安全な道、平安な生き方は、死に急ぐことを決して望まれない神が放たれる光によって、自分自身の生き方を軌道修正することでした。ご自分のもとに帰られることを神は心から望まれて、エゼキエルを通してご自分の言葉を授けられたのでした。その言葉は、今もなお、私たちひとりひとりに語りかけられた言葉として、有効であるということに、私たちひとりひとりが受け止められるのだろうか? そんなことを私は真摯に受け止めたいのです。
私たちのために、闇夜に投じられた光とともにお生まれになられたイエス。そのイエスこそ「世の光」として、私たちの前にその生き方を示されました。イエスが私たちに示されたその生き方から、私たちは「神とともに生きる幸い」というものを、聖書のことばを通して丹念に聴き取り、自分自身の生き方にすることによって、「神の方角をただ見つめて歩む」ことなのだと思います。そのような生き方がもたらす幸いを、心から大切にすることができますように。