くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
出エジプト記20章15節
盗んではならない。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章28節
盗みを働く者は、もう盗んではいけません。むしろ、労苦して自らの手で真面目に働き、必要としている人に分け与えることができるようになりなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。救い主イエスの復活を祝うイースターから数えて22日目を迎えました。イースターから始まって4回目の日曜日を迎えました。今日も世界中の教会や集会で行われる礼拝を通して、神の喜びと祝福が皆さんとともにありますようにと祈りつつ、今日のローズンゲンに示された聖句に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通する言葉は「盗み」です。そして、いずれの聖句にも「盗んではならない」という掟であり勧めが私たちに与えられています。私は、神がモーセを通してイスラエルの民たちに与えた十戒の言葉のなかで、この「盗んではならない」という言葉をどのように受け止めることができるのだろうかということについて、その時々において思わされます。
盗むという行為は、一般的に言われているような人の物品を相手の承諾なく自分のものにしてしまうことを指すわけですが、盗むという行為がなにも物品だけのことを言っているわけではないということに私たちは注目し、関心を高めてまいりたいのです。つまり、神が私たち一人ひとりに与えられたいのち、尊厳、神にある人権をはじめとするさまざまな権利、関係性、経済、健康、精神衛生、学歴や職歴、社会的地位など、数え上げればきりがないことを思わされるのです。
私たちはいかなる理由であれ、そのような人が大切にしているもの、大切にするように与えられているものを奪い取ってはならないのだということに、いつも敏感であるべきなのです。それは単なる人間の倫理的な理由を超越したところに、その根拠を見い出すことが必要なのです。つまり、神が私たちを活かすために必要なことをすべて備えてくださっているという根拠です。それをさも自分自身の努力の結果勝ち取っていると勘違いするからこそ、盗みという結果を生み出すのだと。
今日から新しいいのちの一週間が始まります。私たちに神が授けてくださった尊厳を、互いに大切にすることによって、神の栄光のために生きることができますように。