くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編34編7節
苦しむ人が呼び求めると、主はこれを聞き
あらゆる苦難から救ってくださった。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書11章28節
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
四旬節19日目、そして4週目を迎えました。今日も救い主イエスの十字架の意味をじっくりと味わう一日となりますように。昨日・一昨日と黙想をお届けすることができず失礼しました。私も思いを新たにして、今日の御言葉に聴きたいと思います。
四旬節は、救い主イエスが十字架に向かい、そしてはりつけにされたその苦しみを想う時とされています。救い主の苦しみは、私たちが日常的に抱える苦しみである。イエスが私たちの苦しみをご自分の苦しみとされることで、私たちのすべてを理解し、それを受け入れ、ご自分の苦しみとしてくださいました。私たちが不要な苦しみをこれ以上負うことのないためです。
究極的に、私たちの生活から苦しみが消えてなくなることは御国が来る時までは無くなりません。そういう意味では私たちが生きている以上、苦しみと付き合わなければならないのです。しかし、そんな苦しみのなかにあってこそ、私たちに苦しみを緩和するための安らぎをイエスは与えてくださる。これこそが私たちの生きる「希望」に他なりません。
今日の新約聖書の言葉は、イエスによって語られた大変有名な言葉です。日々の重荷を背負って、その重圧に疲れを覚えているならば、イエスはその荷を降ろして安らぎを与えてくださる。この安心を感じてこそ、また荷を担いで明日を歩むことができるというのです。主イエスというくびきが、私たちの日々を少しでも平安に過ごせるように、ともに担ってくださるからです。
では、そのくびきとは何か。これこそイエスが私たちのために語ってくださった言葉と、その言葉をもって実際的に私たちの安らぎへと導くために遣わされた聖霊の助けに他なりません。今日もその言葉が私たちの心に染み入るときに、イエスが共に歩んでくださる。少しでも私たちの抱える苦しみが取り除かれるよう、イエスが私たちを救ってくださいます。それがイエスとイエスを私たちのために与えられた神の切なる願いだからです。
だからこそ、私たちは御言葉に聴き、そして神に大胆に叫び求めたいと思います。神はその叫びを聞かれ、ご自分がベストと思われる方法で私たちに応答してくださることを、心から信頼しつつ、今日も歩んで行くことができますように。皆さんの一日に一抹の安らぎがよき清涼剤となりますように。お祈りします。
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