くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書63章9節
主はその愛と憐れみによって彼らを贖い
昔からずっと彼らを負い、担ってくださった。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書20章30節
すると、道端に座っていた二人の盲人が、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、私たちを憐れんでください」と叫んだ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。これからやって来る七日間の旅路がどのような日々になるのか、心弾ませながら出会うひとつひとつの出来事に向き合うことができますようにと祈りつつ、今日のローズンゲンに示された御言葉に聴きたいと思います。
今日の旧約聖書と新約聖書をつなぐ言葉は「憐れみ」です。聖書にはよく登場する言葉であり、神の抱かれる属性のひとつであると言われています。「主を、憐れみを」という意味のラテン語は「キリエ・エレイソン」であり、まさにこのエレイソンの原語となったのが、今日のマタイによる福音書20章30節で用いられているわけです。
憐れみは「慈悲」という言葉でも表現することができます。痛みを少しでも共感し、共有したいという思いから生じるのが慈悲であり、神は私たちひとりひとりに慈悲の思いで接してくださっていることが、聖書のあらゆる部分から知ることができます。新約聖書の時代、強さや大きさというものが誇示されたギリシア・ローマ文化のなかで、あえて弱いものに目を留め、それを大切にされるというユダヤ教的価値観というものは、なかなか受け入れられなかったのかもしれません。それでも、そのことをイエスは神の御心を100%身に負う者として、今日の聖書箇所に登場する二人の盲人の訴えに対して、その憐れみの心を示されました。
この慈悲の心は、神に慈愛を込めて私たちを創造された神の親心から来るものです。親が子を慈しむように、私たちを大切に守ろうとする神の思いがあふれるときに、慈悲というものが現実化されるのでしょう。私たちひとりひとりが神の慈悲によって生かされているならば、私たちもまた神から与えられ、満たされた慈悲の心によって生きる者とさせられるのです。特に、隣人とともに生きるときに、この慈悲の心は私たちのあいだに神の平和が宿るために欠かせないものとなるのでしょう。
そんな思いを胸にして、新しい一週間を歩む者でありたいと心から願いつつ、その先駆けとなる今日の礼拝の一切に、また安息日の一日に、神の憐れみがあふれますように。心からお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿