くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書46章9節
いにしえから続くこれまでのことを思い起こせ。
私は神、ほかにはいない。
私のような神はいない。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録1章8節
今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
3月に入りました。この前新年を迎えたらと思ったのに、あっという間に2か月が過ぎてしまいました。こうして春が近づいていくのを少しずつ経験するひと月になれば良いなと心から願います。特に雪害で大変な地域が、少しでもその不便さから解放されますようにと祈るはかりです。あと、これは私事ですが、今日は私たち夫婦の結婚記念日です。丸22年を迎えました。結婚式当日も土曜日でした。灰の水曜日直前の土曜日でしたので、今年と同じ暦周りだったのだなと振り返ることができました。土砂降りの寒い一日でしたが、大勢の方々に参列してもらったことを思い出しました。あの頃の初心に忘れずに、23年目の歩みを大切にしたいと思いました。
さて、そんな思いとともに、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して想わされたのは、「私たちは変わっても、神が私たちとともにおられるということは、昔も今も、そしてこれからも変わることはないのだ」ということです。過去と現在、そして未来へとつながる神が、どの時代においてもご自分の民を支え、助け、ともに歩んでくださる。この事実にあらためて不思議な感覚を抱かされます。
私たちは「今、ここにあるもの」を大切にします。しかし、それは過去からの継承のうえに立ち、私たちもまた少しずつ蓄積されたところに立たされているし、その蓄積されたものは未来志向への第一歩としての「今」があることを大切にしたいのです。それらの断片的なひとつひとつをつなぎ合わせるのが、普遍的な私たちの神であり、救い主イエス・キリストなのだと。そのことを聖霊が私たちに気付きと認識を与えるときに、神とともにいるという私たちのイメージがより確かなものとなっていくのだと、私は今日の聖書の言葉を通して受け止めることができました。
決して過去を過剰に美化することがあってはならないし、極端な懐古主義は未来志向への芽というものを摘み取ってしまいます。だからといって、過去を全否定することも私たちは決してできないこともまた事実です。そこには神の関与が必ずあるからです。過去に目を閉ざすことは結果として神のまなざしをも無視することになるのでしょう。そして過去と現在に対する健全な視点があるからこそ、未来をどのように神とともに生きるのか。そもそも神が私たちのどのような未来であることを望まれているのか。このイメージが神によって与えられるのだと私は思います。
ですから、いにしえから現在、そしてこれからも変わらずに私たちに与えられ続けている神の御言葉である聖書そのものは変わることは無かったとしても、聖書に対する私たちの視点は、過去・現在・未来へのバランスの取れた視点とともに、時流に生きる新しい言葉としてこれからも与えられ続けていくことを、是非大切にしたいのです。
どうか今日の一日もまた、神の守りと祝福に支えられながら、明日への備えの時となりますように。心からお祈りします。
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