11/03/2025

2025.3.11(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ヨシュア記24章22節
ヨシュアが民に向かって、「あなたがたが主を選び、主に仕えるということの証人は、あなたがた自身である」と言うと、民は「私たちが証人です」と答えた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙二1章10~11節
ですから、きょうだいたち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするようにいっそう努めなさい。これらのことを行っているなら、決して過ちを犯すことはありません。こうして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
四旬節6日目を迎えました。そして、東日本大震災が起きて14回目の3月11日を迎えました。今日は、そのことを胸にしつつ一日を過ごしてまいりたいと思いますが、それに先立ち、ローズンゲンを通して与えられた御言葉を思いめぐらしたいと思います。
 
昨日、仙台の海沿いにある荒浜を訪ねました。いつもに増して、荒浜を訪れる方々が多いなかで、あらためて14年という時間を感じる機会となりました。整備された震災遺構を見ると、この出来事を忘却のかなたに置いてはならないという人々の確かな熱意というものを感じつつも、その整備もまた、あの時の生々しい惨状を知る者としては、その完成された感に、いささかの違和感のようなものを感じてしまうのです。もちろん、整備自体が決して悪いことではないのです。しかし、私のなかで何かを客観化し、やはり大切なことを忘れているのではないだろうか。そんな気持ちにさせられたのも、偽らざる事実なのです。
 
そんなことを思いながら、今日の聖句に聴こうとすると、私たちが神に召されて選ばれているという事実というものに、私はどれだけのリアルな感覚というものを抱かされているだろうかということを思わずにはいられなくなりました。私が神から大切にされているということを心の底から喜び、そして確信をいただいた時の新鮮さというものを、私が今日、この時を生きるしっかりとした柱とされられているだろうかという感覚をです。
 
私たちが神から召されているという事実に対して、それを自分自身の生き方で証明することができるのは、私たち自身である。今日の旧約聖書のことばであるヨシュア記の一節が伝えようとしているメッセージです。もちろん、神は助けてくださいます。どんなときにも支えてくださいます。しかし、そのような助けや支えというものが、本当に自分自身が生かされているということへの根拠となるような生き方というものを、私自身が本当に望んでいるということにこそ、記憶を決して風化させないことなのだと思ったのです。
 
震災という出来事を振り返ろうとする今、私がクリスチャンであるという自覚とあいまって、どのように神の支えや助けというものを反芻しながら、震災15年目の歩みへと一歩、そして一歩進むことができるだろうか。そんな黙想を通して、是非神による祝福というものを嚙みしめていきたいと、今日の聖句を受け止めたいと思います。
 
今日の一日が、皆さんにとって素敵な神との時間となりますように。心からお祈りします。

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