くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編4編9節
平安のうちに、私は身を横たえ、眠ります。
主よ、あなただけが、私を
安らかに住まわせてくださいます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章27節
私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
四旬節5日目を迎えました。昨日から始まった新しい一週間が、皆さんんにとって平安に満ちあふれた日々となりますように。心からお祈りします。そして、東北地方にとってはこの週はまさに「特別な一週間」を迎えます。東日本大震災から14年。明日はいたるところで震災を思い起こすための行事が行われようとしています。私もこの時に祈りを合わせて、震災が与えた教訓と、その世界の真ん中に立たれる神を想う時としたいと思っております。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「安らぎ」であると私は受け止めました。そのことを黙想したいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、救い主イエスが十字架につけられる前夜に弟子たちへ語られた言葉の一節です。「おびえるな」とイエスは語られました。先々訪れようとしている不安に弟子たちはおびえます。自分たちの今までの生活が一変してしまうことへの不安です。実際にただならぬ雰囲気を、弟子たちはイエスの言葉から感じたことでしょうし、ほどなくしてその不安は現実のものとなります。だから、弟子たちはおびえるのです。
そんな弟子たちの想いをすべて見通していたイエス。だから、弟子たちがおびえないように、イエスは「平和」を弟子たちに授けると約束してくださいました。その平和とは、この世が与える平和のかたちとは違うものであるとイエスは断言されます。この世の平和とは何でしょうか。刃を向け合い、優位性を確保することによって得られる平和のことでは決してありません。誰かだけが得をするようなことを、イエスはきっぱりと否定されるのです。
大切なことは、このイエスの提示される平和に、私たちがどれだけ自分自身の生き方とするかです。イエスの言葉が指し示しているエッセンスに耳と心を傾けることによって得られる平和です。しかし、何もしないままでは、イエスの語ろうとしていることを拒むならば、そこには究極的な平和を得ることは決してないのです。平和、平和と言いながら、平和でない状況をつくりあげてしまう。これが人間の偽らざる姿であり、悲しいかな「性(さが)」なのです。
平和とは安らぎである。神がつくりあげ、その想いを受けた私たちがつくりあげようとする平和は安らぎ、つまり「平安」がベースにあってこそ成り立つものであることを胸に刻みたいのです。今日の旧約聖書で歌われているように、身を横たえて安らいで眠りにつくことのできる状況こそ、平和の基盤にある決して欠かせないものであるということです。その平安を与えてくださるのも、私たちの神であって私たちを全身全霊で守ってくださる救い主イエスに他ならないということなのです。
この平安を私たちもいただいて、今日の一日を歩むことが出来ますように。
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